PINFU

毎日書く訓練

万事快調(30)

2024/02/04
私の目標は何かをすることではありません。何かを長く続けることです。行動を探すのではなく、見つけた行動を長く続ける工夫をします。一日、一ヶ月、一年、十年... することと、それを長く続けることは構造的に異なる方法です。
My goal is not to do something, but to endure something for a long time. Instead of seeking actions, I contemplate how to prolong the actions I find. Doing something for a day, a month, a year, or ten years is structurally different from sustaining it for a long time.
Twitter、hwal、@hwalmin 、2024/02/04、https://x.com/hwalmin/status/1753842739878240344?s=46&t=MZhhqo8nkNTdqs3wxpDo8A

 この方はTwitterにアート作品をアップしていて作品の中にハングル文字が描かれている。引用した作品は、リングノートに、わたしはハングルは読めないからおそらくでしかないけれど、リングノートにハングル文字でおそらく「私の目標は……」の文章が書かれていて、そのページをちぎって貼っているのではなく、写真に撮って、紙に貼っている。その下におそらく作者のサインと印が押してあって、2023.09.03と日付のスタンプが押してある。
 ハングル文字を筆写してみたけれどうまくいかない。二行目を筆写しているつもりだったのに、いつの間にか三行目になっていて、文字を意味じゃなく記号で見ていて、似ている文字、どれを今書いているのか分からなくなって、三回間違ったところで、
 またあとで
 にした。あとで書きたい。

 私は21×27の大判の白い原稿用紙を使って余白なしに表裏びっしり書き、ほとんど抹消もしません。というのも、抹消することに私は肉体的嫌悪を感じるからです。書き上げると、植字工のために全体をタイプで打ち直します。私の手書き原稿では、彼らには細かすぎるらしいのです。いずれにしろ、初稿が私を興奮に駆りたてるのと同じだけ、第二稿は私をうんざりさせます。タイプはいくら習っても覚えられないので、全部を二本指で打たなければなりません。つい面倒になって、あちらこちら、単語や形容詞を省いてしまうようなことになります。しかしそうすることによって私はその気もなしに、自分の文体を磨くのかもしれません。
(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編 岩崎力訳『作家の仕事部屋』中公文庫、p.175)

 パラパラとこの本を眺めていただけだが、すくなくともわたしが読んだ作家の書き方は皆、書き始める前に確固たるテーマがあって、それを書き出すのではなくて、とにかく書き始める。ざっと書く。と言っている。ル・クルジオも、一度プランを立てて書き出してみたが、文章の中でそのプランを練り上げることができなかった。しかしまったく何も考えずに書き出すのではなく、執筆に三ヶ月、第二稿(さっき引用した、植字工のために慣れない二本指でするタイプ)に二ヶ月ぐらいかかるが、その前に一年近く考え続けている、と言っている。年明けから書き始めて、やっとこれを掘り下げたいのかもというものが出てきた。
 書くのはたのしい。でも何が楽しいのかわからない。「なんでこれを書いているんですか?」と訊かれると、
 まだ終わらないから
 と答えるのがいちはまんしっくりくる。たのしいから書き続けているのではなくて、何とかこの小説が終わるところまで持っていきたくて、とにかく終わるまで書きたい。
 長生きの秘訣というより、死んでいないから生きてるだけ
 すこし行き詰まっているような気がした。この調子で書いていって、小説なのか日記なのか、どっちでもいいとわたしは言いながらそこに執着している。一旦止めようか、数えてはいないけれど三十日分書いて、たぶん百五十枚ぐらいにはなっているから、まぁまぁ一旦止めるのもありじゃないか。しかしこういうときも俺はわたしなのか、「わたし」なのかわからないけれど、ふわっと気がついたら田上允克を検索している。

 田上さんは画家である。ずっと絵を描いている。29歳まで何をしたらいいかわからず、かといって迷うこともなく、もちろん働くことなく、毎日家で本を読んだりしていた。29歳の時に、とうとう親から家を出てくれとお願いされて、それならばと住み込みの新聞配達の仕事を見つけ、東京へ行った。初めての仕事である。3日ほどやった時、近くで見つけた絵の研究所にふらりと入り、絵を描いてみたら、これが自分がやることだとその瞬間にわかった、とニコニコしながら田上さんは言った。そのまま父親に、仕事をやめて絵を描くからこれからずっと仕送りしてくださいとお願いした。その日から1日に何枚もひたすら絵を描き続けている。しかも絵はほとんど売れていない。しかし、田上さんは鬱屈した様子はない。絵を描くことが楽しいのである。茅葺き屋根の100年以上経った古い家にキュートな奥さんと二人暮らし。家の裏にある倉庫には毎日休まず描き続けた5万枚以上の絵が年ごとに重ねて無造作に置いてある。田上さんは父親が亡くなる60歳過ぎまでずっと仕送りをもらっていたという。裕福というわけではない。父親も少ないお金をどうにか送っていたそうだ。新聞配達を3日だけやって以降、働いたことはない。その代わり、絵は毎日休まず描いている。今年でもう46年になるという。僕が絵を毎日描くきっかけになった人だ。
坂口恭平「SING IN ME 霞を見つける。」『POPEYE 2021年 5月号』p.164)

 わたしはアマチュアだ。自分自身ではそんなことはどうでもいい、今朝書いた彼のように、長く続けること、それにしか興味がない。いかに長く続けるか、いかに死ぬまでやり続けるか、死ぬまでというか死ぬ瞬間まで書きたい
 死ぬ瞬間にこそ書きたい
 山下澄人も『FICTION』にそう書いていた。でも横あいからは、
 プロでもないのになんでぐちぐち言ってんの?
 そんな声どこから聞こえているの?
 それは「わたし」が言っているのかもしれない。わたしはさんざん、
 わたしがいこうとするときに止めてくる、それが「わたし」やねん
 と「わたし」のことを書いてきた。しかしここへきて「わたし」は、
 プロでもないのにどーのこーのって、だれが言ってるの?
(わたし)いや、だれっていうか……
(「わたし」)肉として存在する人間が言ってきたの? 今日?
(わたし)言ってない
(「わたし」)あんたが勝手に妄想で作り上げただけでしょ。そういう事はしなくていいんだよ。いかに善をなすかだよ
 保坂ゼミでも、
 いつまでも小島信夫のマネばかりしててもしょうがないなって言ってたことを考えてて……
 と言ったら、
 あのね、真面目に取りすぎ
 と言われた。べつの質問で、
 たしかに「正解はないけど不正解はある」って言い方をよくするんだけど、その「不正解」って言い方がよくなくて、それは「行き詰まっている」とか「書き直し」とかそういう言葉に言い換えた方がいい
 で、わたしは今日行き詰まった。行き詰まったと思う。「正解」「不正解」で言えばどっちになるかわからない。最終的にこれが書き上がったとき、「不正解」になるかもしれないが、わたしはだから書くのを一旦やめようと考えていた。打開策が見つかるまで止めてみたほうがいいんじゃないか、ほら枚数的にもそれなりに書いたし、一回止めてもいいんじゃないか、と考えていた。
 しかしバッティングができないからといって素振りを止める野球選手はいない。
 このメロディーがうまく演奏できないからといって練習を止めるフルート奏者はいない。
 みんなできないからこそ練習する。できない、よしやるぞ、と練習をはじめて、次の瞬間できるようにはならない。十回、百回、千回、一万回と練習して、やっと一回できるようになる。あえて書くが千回の「不正解」の積み重ねの上に一回の「正解」がやってくる。わたしにもその一回の「正解」がくるのかわからない。でも「不正解」積み重ねないことには「正解」は絶対に来ない。
 大谷翔平も同じことを言っていた。
 技術的なコツを掴むのって結構一瞬で変わるもので、そこにいくまでには積み重ねが必要なんですけど、ほんとにコツを掴む瞬間っていうのはそういう一瞬のときだと思うので、その日はそういう日だったかなと思います。

 時々、絵がうまくいかないんですよ、と他の画家に相談されることがある。でもそういう時、みんな絵を描いていないんだよね。うまくいかないんじゃなくて、描いていないだけ。手を動かしていたら、どんどん広がっていくからね、と田上さんは言う。評価されているわけでもない、もちろん売れているわけじゃない。田上さんはそんなことお構いなしだ。絵を描くことが面白い。だから手が止まらない。手が動いていれば、絵は自然と広がる、絵が次の道をどんどん見つけて、大きく成長していく。雑草みたいにどこまでも伸びていく。やっていても、途中で失敗したなあと思う時があると僕が言うと、それならもっとその絵に描き込んでいけばいいだけですよね、と田上さんはつぶやいた。絵を描いた後、その絵を見ながら自分で判断するんじゃなくて、絵は絵の中で、絵を描くことで進ませていく。単純なことだが、僕はハッとした。時間が惜しいと言いながら、今日も田上さんは絵を描く。田上さんは手で進んでいく。その道に行き止まりは一つもない。どうすればいいかと考えない。どうすればもっと面白くなるかと手を動かすだけだ。絵を描き続けてさえいたらどうにかなるんだよね、働いたことないのに困ったことがないんだと田上さんは言った。人はどんどんやめていくんだけどね、やめなかったら、続けられるのに、と残念そうな顔をした。(同上)