PINFU

毎日書く訓練

万事快調(21)

2024/01/23
 きのうは会社を早退して、高円寺の保坂ゼミに出る。ニ回目である。一回目のときに、
 こんどは今日来られなかった人優先で
 という話をしていたから、次参加できるのは四回目、五回目かな、と考えていたら、参加の案内のメールを菊池さんにいただいたので参加することにした。
 話はいろいろあったのだけど、わたしにとっての一番のハイライトは、保坂さんに、
 正解はないけど不正解はあるって話はよく聞くけど、自分で文章書いたときにその「不正解」を出してしまいそうでこわくなる
 という話をして、
 たしかに正解はないけど不正解はあるって言い方をよくするし、間違いってことでもないんだけど、でも「不正解」って言葉にすることのがよくなくて、それは「行き詰まっている」とか「書き直す」「推敲する」とか、そういうふうに言ったほうがいい
 もう一つ質問していいですか
 いいよ
 ある人に「小島信夫を目指して書いているアマチュアの人の文書はどれもよくない」ってことを言っていて、以前、べつのイベントの話でアレですけど、小説的思考塾で山下澄人さんとトークをしていたときに保坂さんが、いつまでも小島信夫の真似しててもダメなんだよね、って言ってて、
(ん? 俺?)
 と保坂和志は自分のハナ頭を指でさした
 はい、それで、でも保坂さんの文章とても面白いんですよ
 ハハ
 その、保坂さんはおもしろくて、アマチュアはおもしろくなくなる、その線引きというか、プロだからアマだからってことなのか
 あのね、まず聞いてて思ったのはね、言ってることを真面目に受け取りすぎなんだよね、トークの流れでそういうこと言ったのかもしれないけれど、それはそういう流れなので、
 そのあと何を言っていたか覚えていない。たぶんそこでおわって次の人に行った。
 解釈はできるかぎり遅く、観察をたくさんする
 保坂さんの「真面目に受け取りすぎ」っていう言葉も、解釈はいくらでも書けるし、そう言っていたのはもう去年の七月くらいで、その日からずっと考えていたわけではないけれど、ずっと引っかかってはいて、だから「いつまでも保坂さんの真似してもしょうがないんだよね」
 保坂さんの声は遠くなって、その周りで言っている声ばかり大きく聞こえる
 解釈し始めているのでここで。
 場面を切る、という話もしていた。わかんなくなったり、先に進まなくなったらそこで、パンと切っちゃえばいい。たとえば喫茶店でニ人でいる場面を書いてみて、つづかなくなったらそこで切っちゃえばいいら。その日でた質問の中で「身体性」の話もあった、

今ボクは、トークの会場にいるのか、トークは一月も二月も三月も前のことで、ニ、三日前にあのときのCDを届けてくれた。
小島信夫『残光』新潮社、p.110)

 小島信夫はこう書いている。でもトークは一月もニ月も三月も前におわっているからそこにはいない。ここを書いている小島信夫は自宅の書斎なのか、どこなのかわからないけれど、少なくともトークの場面で書いているわけではない。でもトークの場面にいる。わたしも保坂ゼミのあのチュウボウの中で書いているわけではない。でも保坂ゼミにいる。
 仕事の休憩がもうすぐ終わるので一旦ここで切る