PINFU

毎日書く訓練

志見祥さんのこと

2023/08/27
 日曜日にしては朝早くおきたら志見祥さんから新しい音楽が送られてきていた、布団の中で聞く、「カーテン」という曲だ、
 いつのスペースだったかは忘れたが志見祥さんは、歌を歌いたい、と、歌詞を作りたくなっている、と言っていた。「カーテン」は歌詞のある歌だった、うーん、歌詞は言葉だから意味を考えてしまうけれど、そもそも意味はなくて、ただ、他の楽器と同じ、楽器のうちの一つとしてあるのかもしれない、ハミングと同じ、でもハミングとは違う、それは意味が乗っているという違いではなく、性質の違い。たとえばメロディーに、
 なんでここでラを鳴らしたんですか?
 と聞かないように、なんでこの歌詞にしたんですか?と聞くのは野暮、いや、「カーテン」を聞いてそういう疑問が浮かんだわけではない、「カーテン」を10秒ぐらい聞いたらすぐ書きたくなってもう聞きながら書いちゃってるんだけど、だから歌詞の内容まではまだ分かっていない、ぼわ~んと聞いて、いきなり、聞き終わるよりも先に書き始めてしまった。

 志見祥さんの名言に「いい作品は、聞いてる人を一瞬表現者にしてしまう」と言ってた、はじめてスペースで話した日で、まさにその通りだと思った、小説家の保阪和志はオーネット・コールマンの言葉を引用して、
「しかしいつかは音楽における自分なりの声をサウンドの中に見出そうと思っているなら、次のことを忘れないでいてほしい。音楽とは他のあらゆる芸術表現と同様、われわれを観察する立場から行動する立場にかえてしまうものなのである。」
 坂口恭平は「ゴダールを見てると30分ぐらいで書きたくてしょうがなくなる。それでいい。それで書いたものをちゃんと公開する。だってゴダールも公開してくれたから俺が書きたくなってるんだから、それがずっと続いていけばいい」
 志見祥さんがなにを聞いて音楽を作りはじめたのか、何を見てアルバムを作ろうと思ったのかそれは分からない、でもなにかの流れを汲んだ志見祥さんの音楽が、今度はわたしにこの文章を書かせている。

 まだ2曲しか聞いていないけれど、水の音が頻繁に出てくる。「カーテン」にもやっぱり水の音がでてきた。分かりやすいのは最後の川の流れる音(?)、すみません、さっきも書いたけど、まだ聞き終わる前にこれを書き始めてしまったから実際は川の音なのか、滝の音なのか、湧き水なのか、水ではないけどそう聞こえただけなのかは分かっていないけれど、とにかく水の音がよく出てくる。「カーテン」は歌が入っているとさっきも今も書いたが、その歌も、なんとなく、水の中で歌っているような、くぐもっていて、それを、たとえば、「志見祥さんの原風景には海がある」とか「朝起きてカーテンを開ける=自分が生まれる瞬間のメタファーとして、羊水の中で歌っているのを表現している」とか、それっぽいことはいろいろ言えるのかもしれないけれど、分からない。分からないけど、志見祥さんがどう試行錯誤してこういうエフェクト? 編集? をしているのかは分からないけれど、でもわたしはそこには意味はなくて、作ったらこうなった、ってことなんじゃないか、と思っている。もしかしたら、水の音がよく出てきますね、と言われて、あっほんとだ、と志見祥さんが言ったらおもしろい、本人がまったく気がついていなかったらおもしろい、なんでそうしたいのか本人も他人もだれも分からない、だれにも気がつかなかったことをわたし1人だけが気がついてすごいねと言われたいわけではない、そんなことはどうでもいい、とにかく志見祥さんの話がしたい。

お彼岸

 二〇二四年三月二十三日(土)
 今日はおじいちゃんの月命日か
 違うよ、おヒガンだよ
 さっきは「ヒガン」の漢字がわかっていたのにいざ書いたらわからなくなってしまった。ガンは岸である。
 岸のむこう。岸のむこうだからこっちとあっちの間には川が流れている。大きく流れる緩やかな川だ。わたしはこっちの岸にいて、おじいちゃんおばあちゃんはあっちにいる。あっちにいるおじいちゃんおばあちゃんが見える。手を振るわけでもない。二人は並んで立っている。こちらから見て左側に祖母、右側に祖父。
 母方の熊本の実家には昭和天皇香淳皇后御真影と、上皇上皇后御真影がある。御真影にかぎらず新聞の写真でも必ず写真に写るときは、天皇は皇后の右側に立つ。それと同じかと思ったが祖父は祖母の左側に立っていた。
 熊本の実家には二間続きの広間があり、普段は襖で仕切られているが、わたしたちがお盆に帰り四日ほど滞在するときは取り払われている。
 手前の広間は四人家族の布団が川の字にならべられて寝起きし、奥の広間には先祖の仏壇がある。長押(なげし、と読むそうだ。調べて知った)の上に先祖の白黒の写真が飾られている。五人いる。白黒の男女が二人ずつとカラーの女性が一人、書きながら白黒の男女がそれぞれ祖父母の父母(わたしの曽祖父母)かと思って考えていたが、カラーで写っている女性がたしか祖母の母で、この白黒の人たちは誰なのかわからない。そもそも会ったこともない。
 場所が変わって東京の我が家のカウンターキッチンからリビングが見えるその棚というかシンクの正面に、母が、おそらく振袖を着ているので二十歳ごろの写真に、みんな正装をしているから結婚式かなにかのときに実家で撮った写真かもしれない。そこには若い祖父母と、振袖姿の母、母の兄のT、妹のMが写っていて、その中央にイスに腰掛けて、カラーの遺影が仏間に飾られている女性が写っている。わたしはこのあと夕方から、東京の自分の実家に帰った。両親は明日から静岡に旅行に行くらしいが、冷蔵庫の中に飯がたくさんあるから食べに来てくれないかということだった。
 この人はおばあちゃんのお母さん?
 そう、M子ばあちゃん
 後日戸籍を調べるとたしかにおばあちゃんの母のところに「O本M子」と書かれている。それを取り寄せるのに六日ほど時間がかかった。明治四十三年の生まれだった。
 となるとわからないのは、仏間に飾られているほかの白黒の写真の四人だった。戸籍には親きょうだい家族の名前はあるが、誰が誰なのかはわからない。わたしの祖父であるKは六男で、長男は二歳で死亡、三男は戦死している。祖母は長女でたしか三つ上に兄がいたが幼いうちに病気で亡くなり、二男もいなかったので祖父のKがムコ養子となった。
 岸のむこうに立っているのは熊本の祖父母ではない。仏壇のとなりに昭和天皇皇后、上皇上皇后御真影が立て掛けられている。幼いときに見ても今見ても、あっ天皇の写真だ、ぐらいにしか思わないが、昔の人は全然違う態度で御真影をながめていたんだろう。手を振ってみましょう。おじいちゃんおばあちゃんは手を振ってくれた。
 でも本当は振っちゃいけないのよ
 もう四年も三年もいれば向こうの生活のリズムというか、慣習が身に付いてくる。こちらのことは本来は見えないことになっているらしい。しかし見えている。見えているけれど見えないことになっている。
 一応看守のような人がいるらしい。看守というか門番だ。境界のところに立っている。もちろん神様にはすべてお見通しではあるが、多少手を振るぐらいは目をつむってくれるらしい。今日はいやに岸にたくさん人がいるなと思ったらおヒガンだった。まだ漢字は思い出せない。パラソルも立っている。
 おじいちゃんは漢字が得意だった。小学校では宿題が出る。宿題は毎日出て、今では考えられないがそれを毎日こなして提出する。生徒もやりたくない、先生もその丸付けをする時間をとられてほかの仕事ができなくなる、お互いにとってwin winなので宿題なんてやめてしまえばいいのに今も残っているのか? 学校現場からは小学校卒業以来離れているのでどうなっているのかわからない。とにかく小学校に通っているときは毎日宿題があった。
「おテツダイ」が書けなかった。カタカナで書くと余計に分かりにくくなるが「お手伝い」だ。手、はわかったけれど、伝い、がわからなかった。両親共働きだったので学校が終わって親が帰ってくるまでは近所だった祖父母の家に預けられた。「預けられた」なんて書くと余所余所しいけど、おばあちゃんに
「おかえり」
 と言われるとなんか違う感じがした。そんなことは初めて書いた。
 おじいちゃんは漢字が得意でそれを母も知っていた。わからない漢字があればおじいちゃんに聞けばOKだった。算数、社会は聞かなかった。理科も聞かなかった。思えば全教科で宿題が出された。そんなにベンキョーさせてどうするのか。松山千春が「歌が上手くなるコツは、小さいころからデッカイ声で歌うこと。今の人は上手く歌おうとして声を小さく歌ったりするんだけどね。俺が小さいときは広いしさ、裏の山とかでデッカイ声で歌ってたんだよ。それが今思えば大事だったと思うね。」
 イスにじっと座らされて何時間もベンキョーさせられるより、小学校のうちは外へ出て(外へ出して)体を使って遊ばせたほうがいいと思うが、そうさせていない。
 祖父母の家で宿題をやっていた。
 コウちゃん宿題は?
 今日はない
 なんて嘘をついたことも一度二度ではない。何度もある。おばあちゃんも嘘だとわかっていただろうが、孫がそう言うからとなにも言わずに飲み込んでくれていた。
 おじいちゃん、おてつだいってどう書くの?
 おじいちゃんは新聞に挟まっているパチンコ屋かなにか(だいたい多くは、パチンコ屋のチラシのウラは白紙で、裏紙に使っていた)のチラシの裏の右上に、
「お手使い」
 と書いた。
 見覚えないな、と思った。でも漢字の得意のおじいちゃんが書いたので間違いはないと思い、ありがとう、と言ってそのまま書いた。たしか作文だった。ちゃんと宿題をやったか母親に見せたとき、
 これなんて書いてあるの?
 おてつだい
 字がちがくない?
 と母はまた裏紙に「手伝い」と書いた。
 でもおじいちゃんがこうだって
 おじいちゃんが? おじいちゃん「お手伝い」も書けないの?
 なんでこのエピソードを覚えているのかわからない。たぶん理由はない。手を使うんだから手使い、でも間違っていない気もする。理由はないけどなんとなく覚えている。そこに理由を後づけすることもできるけれど、後づけだ。
 岸のむこうには死者がたくさんいる。死者/生者、と線引きをするのも間違っているのかもしれない。調べるとお彼岸は、あの世とこの世がもっとも近づく期間とされているらしい。漢字も調べたのでわかった。「お彼岸」。彼方の岸、もしくは岸の彼方、ということだ。

(おわり)

ディオニソスの祭り(21)

2024/03/10
 職場で「整体」とわたしが言っているのは全部メンズエステのことです。
 職場の女の子には風俗キャラみたいなことを言われています。もちろんお互いお約束になっている「ギャグ」で、
 ピンフは風俗いってるもんね笑
 行ってねぇよ!
 というやりとりなんですが、行ってねぇよ!とわたしは言ってますが、行ってます。恋人はいないので、ずっとセックスしないで過ごすのは無理です。
 日記をあんまり書けていなかったのは、わたしはやり方が三つあって、一つはスマホ、二つ目がポメラ、三つ目が手書きで、いちばんはてなブログにアップするのがカンタンなのはスマホで書いてアップすることなんですが、なんかスマホで書く気になれなくて、ポメラもいいけどそのためにわざわざ持ち歩く気にもなれず、家に帰ってからポメラでポチポチ書いてはいたんですが、この前手書きしたらめちゃくちゃたのしくて、やっぱり手書きがいいな、というのも、やってることは同じなんだけど、うまく伝わらない気もしますが、スマホポメラは完成形を書いてるという感じで、でも手書きは下書きを書いてる感じだからあんまり気負いがない。
 これは電車の中なのでスマホで書いている。『残光』をまた読みはじめた。Nさんにきのう、「群像」に載ってる「創作合評」の山下澄人の発言が鋭くて、それを図書館で借りてきて、今の「群像」はどれも分厚い、わたしが大学生のときはこの半分くらいの厚さだったのにどんどん分厚くなって、わたしは前回の小説的思考塾の帰りに酔って、カバンをゲロまみれにしてそれは捨てたから、べつのカバンを使っているけれどそれは小さいので、あんまり本は持ち歩けない。のに「群像」は分厚いから三冊も借りる(山下澄人が参加してる「創作合評」がその三回だったから)とカバンはパンパンになって、背中に背負うといつのまにかカバンの口が開いて中身が落ちそうだったから、きのうは前に背負って歩いて帰ってきた。
 図書館の帰りに飲み屋に行こう、最寄駅の前に焼き鳥屋さんがある。前に高校の先輩Iと行ったことがある。わたしはIが大好きで、高校時代は憧れというよりほとんど恋愛感情だった。それをもう十年以上経ってこの前告白した。Iは驚きもしなくて、なにか言っていたが忘れた。その日は吐かずにちゃんと帰った。
 Nさんは知っているけれどわたしは東京の田舎の方に住んでいて、その小説的思考塾の日は、このままここにいたらヤバい、もう帰んないとヤバい、と思って、その日はロビンさんと話していた。ほかにも何人かと話してた。とにかくわたしは酔うと楽しくなって、ニコニコ絡んでしまう。終わりの方に二人の人とニコニコ絡んでいて、翌日ロビンさんからそのとき撮った写真が送られてきた。で、このままだと酔い潰れる、迷惑かけると思って、さようならも言わずに巣鴨駅にむかって、電車に乗ったが二駅目ぐらいで気持ち悪くなって吐いて、ホームのベンチに座ってもそのまま地面に倒れ込んで、そこでまた吐いて、ゲロの水溜まりのなかで七転八倒して笑、
 笑いごっちゃないんだけど、笑えるけど、とにかく帰んなきゃ、って気持ちはあるんだけど体がまったく言うことを聞かない、あれは面白い体験で、でももうまたやりたいとは思わないけど面白かった。ぜんぜん体が言うことを聞かない。とにかく目の前に来た電車に、行き先もわからず飛び乗って、また気持ち悪くなって降りて吐いて、というのをやっていたら神田にいた。神田で終電を迎えて、神田駅のトイレの中に逃げ込んで、ここにいれば駅員さんにバレずに朝まで行けるんじゃねぇか、と思ったのかなぁ? そんなわけないよね、案の定ドアをバン!バン!バン!って叩かれて、
 終電ですよ! 閉めますよ!
 もしかしたら「出てってください」とまで言われたかもしれないけれど、酔い潰れながらもそりゃそうだな、と納得していて、全国の駅員さんは毎日こんなのを対応してるのか、そりゃ「出てってください!」ぐらい言いたくなる。そこから歩いて帰ろうかと思った。たぶん朝には着くと思った。着かないか、たぶんシラフで歩いても十時間くらいかかる? Mさんと飲み会してやっぱり酔って、電車を降り過ごして、終電なくなって、三時間くらいかけて歩いて帰って、途中でもう無理でタクシー乗った。今思えばどっかホテルにって選択肢もあったけどそのときは、こんな格好でホテルいけないし、わからない。どういう精神状態だったのか、とにかく自分の家に今夜中に帰らないと、と思っていて、ほんとごめんなさい、地元にいる友だちに電話した。こんなことぜったいしちゃダメだよね。それで神田までそいつは迎えにきてくれて、帰った。

ディオニソスの祭り(20)

2024/03/09
 土曜日は起きたら昼前のことが多いけれど、今朝は八時に起きた
 という文章を頭の中で思って、今日はそこから書き始めようと書いてみたけれど、もうそれは頭の中で完成していて、改めて書き出すまでのこともなかった、と書いて思った。
 考えていることはわりとあるような気がしている、カン違いかもしれないけれど、あとになると忘れてしまう。
 残業をして同僚とご飯を食べて、それなりにキャリアを重ねてくると、
「まだそんなことも知らなかったの?」
「一緒に入ったナニナニさんは知ってたよ」
「ナニナニさんはここまでできてるよ」
「もうワンランク上の人事評価を狙いたいとは思わないの?」
 いろいろプレッシャーがかかってくるという話をしていた。わたしは年齢はその人より上だが、キャリアは一年目なので、基本的にはみんな褒めてくれる。仕事自体も新しく覚えることが多いから、こんなことも知らないの?とは言われない。そこにはわりと自覚的にいると思っている。だからこうして余裕で仕事ができているのは新人のうちで、もう二年もすればわたしもその人と同じようなことを言われるようになる。
 基本的には人事評価は信用していない。あくまでも自分の評価が大切で、その中でいろいろあるから困るんだけど、自分ルール、他人のルールはあくまでも「他人のルール」であって自分のルールではない、その戦いだ、自分のルールをどこまで守れるか、
 人生とは嵐が過ぎ去るのを待つことではなく嵐の中でどんなダンスを踊るかだ
 誰かがツイートだったか、リツイートしようと思って忘れてしまったので原文には当たらない。Hさんは、
「人から聞いた話だからどこまで正しいかわからないけれど」
 と話し始めた。人から聞いた話と、本を読んで知った話はHさんの中では線引きがあるらしいことをその発言から想像して面白い。もちろん誰がどういう状況で言っているかによるとも思う。一概に全部が全部、人から聞いた話だからどこまで正しいかわからない、と考えているわけではない。小島信夫が言えば(書くではなく直接口で語りかければ)それはHさんにとって正しいことになる。いや、これも間違っていて、正しいとか正しくないとかでもないのかもしれない。そこに「正しい」という言葉を当てはめてしまったから間違っていて、正しいというより、どんなに尊敬している人でもこれはちょっと違うよなと思うこともある。
 Nさん(野本さんではありません。仕事の同僚のNさんです)はこれをしても許されるのに私がしたら怒られるのは気に食わない、とその昨日残業後にご飯を食べた人が言っていた。字義通りに受け取ればそれは不公平だということになるんだけど、その人はNさんより三つキャリアが上で、だから上司からすればそもそもニ人は同じ土俵に立っていないから、それは「不公平」じゃなくて、上司はその人を評価しているから甘やかさない、というふうにも取れる。自分の都合の良いように解釈していけば良いと言うのは言葉が間違っているかもしれないけれど、自分が健やかでいるために、不公平を「不公平」として受け取らないために、勝手な物語を作ってもいいんじゃないか。数式は解決してくれないが文学は解決してくれる。山下澄人の「創作合評」を読んでいると、ほんとに文学は実用的だと感じる。
 これ以上書くと間違えそうな気がするのでここで一旦やめておく。
「私には仲良くなりたい人がいて、その人と喋りたいと思う。でも相手は内気な人で、なかなか殻を破って外に出てこようとはしない人です。でもその人にはその人自身が気がついていない良い面がたくさんあるから教えてあげたい、と思っているのですがどうしたらいいでしょうか?」
 という質問に、
「仲良くなりたいから喋りたいというところまでは良かったが、その後の、その人自身が気がついていない良いところ教えてあげたいというのはなんだか上から目線だ。余計なお世話な気がする。言葉にするから間違う。言葉にせず話しかければよかった」
 と山下澄人は答えている。言葉にすると間違う。
 坂口恭平が、とにかく書き続けたらどうだ。起きた瞬間から寝る瞬間まで、一時の休みもなく書き続けたらどうだ。そうすれば死ぬことなんて考えていられなくなる。とツイートしていた。
 前に日記だと思うけれど、わたしは「小説以上にTwitterを眺めている時間が長いから自分にとってはTwitterが文学だ」と書いたことがあって、今改めて書いてみて、「親代わり」のようなニュアンスで、「Twitterが私の文学代わりだ」でもいい。そっちに更新した方がいい。
 本は閉じられている世界でそこからわたしと語り手と登場人物しかいない。そこから物理的な世界に何かが発信されるわけではない。わたしは国語の教科書の表紙とか、大学の文系学部のパンフレットにありそうな、本を開くとそこからいろんな人物や世界観が飛び出しているグラフィックがあまり好きではない。本はこことは違う世界に連れて行ってくれるわけではない。それだったらゲームの方が吸引力がある。本はそれとは違う効能がある。具体的に「これ」とはまだ言えない。さっき「好きではない」と書いた。好きとか嫌いとか何の信用にもならない。そもそも年齢を重ねてどんどん視野が狭くなり、すでに視野が狭いんだけど、さらに狭くなって頑固親父のようになっていく。同僚とそんな話をしたわけではなかったけれど、聞きながら、当たり前だけどみんなそれぞれ見えている世界が違う、ということを改めて思う。もしかしたらわたしはわたしが見ている世界がすべてのような、多少気がしていたのかもしれない。環境によって、背景によって見える景色が全然違う。そんなの当たり前なんだけど忘れている。

ディオニソスの祭り(19)

2024/03/07
『菅野満子の手紙』を読んでいる。会話がどーかしてる。『残光』でもどーかしてる会話があって、もしこんな夫婦が電車のホームでとなりに並んだら、俺はちがう列にならぶ。
 Nさんは二人の、というより花畠での会話を読んで泣いた、と言っていて、書いている小島信夫自身も泣いて、それを書いていて、そこを読んだNさんも泣いた、とデニーズで言っていたのを聞いた。
 Twitterにも書いたが、連載三回目くらいからだんだん面白くなってきて、

(7日の日記のつづき)
 書くことはいつもないけれど書かないといけないと思うので、『菅野満子の手紙』は買った本じゃない。借りてきた本なので書き込みができない、からとりあえずいいと思ったところには写真を撮っている。
 小島信夫は内容以前に言葉遣いがおかしかったりする。小説に、突然書き手の状況を入れ込んだ人だ。文章のおかしさもそのままおもしろがらないと入っていけない。みたいなことをHが書いていた。
『残光』で少しずつ読んで、毎日書いていたときはそれは去年のたしか十月くらいに、インスタのストーリーで勝手に連載をしていたけど、内容ではなく言葉の使い方に引っかかって書いていたんだけど、途中から、なんかそれって表面のことしか言ってないような感じがして、ダメじゃないか、と思って書かなくなった。書かないで済むようになる言い訳がほしかっただけかもしれない。『残光』の44ページから49ページまで続く会話の場面。
 今日の日記を書くためにもう一度その会話の場面を読んでみたけれど、初めて読んだときは狂ってると感じたけれど、狂ってる感じはしなかった。こんな夫婦が駅のホームのとなりにいたらちょっと離れたい、とどっかに書いた。野本さんはここは涙が出る気持ちになりますか? そもそもわたしはあまり泣きません。涙もあんまり出ません。何かがあって泣く、映画でも本でもドラマでも実生活でも何でもいいんだけど、何かが起こって泣くということはあまりありません。
 地デジになってもう映らなくなってしまったけれど、実家のお風呂にテレビが、壁にはめ殺しになっているのがありました。テレビをつけるとずっと風呂から出てこないので、我が家ではテレビ禁止令が出て、それでも親の目を盗んでつけたりしていたけれど、すりガラス(本当はすりガラスではなくプラスチックです)の扉からテレビをつけると外に光が漏れているので、親が脱衣所から静かに覗きに来てテレビがついていると扉をダンダンダン!と叩きました。わたしは何もなかったかのようにテレビを消して、だれに見られるわけでもないのに平然とした顔をして、友だちのYくんは家族の前で全裸でいても平気だそうです。小学校の終わりから中学校は体が変化します。いちばん大きいのは毛が生えることだと思うけど、それを親に見せるというか、親の前で全裸でウロウロするとかありえない、淫毛についてはおもしろい話があるのですが、日記としてではなく、こんど小説として書きます。ちょっと自分の話として書くのは恥ずかしいので。
 話が脱線しますが、文章を書いてて「恥ずかしさ」はありますか? ぼくはだんだんそれがなくなってしまって、でもこの前、ポメラ(小さいノートパソコンみたいな形をした、文章入力だけしかできない機械です)を漁っていたら、昔書いた小説を読んで、これを書き直そうかなと読み返していたら、けっこう恥ずかしくて、ちょうど「恥ずかしさ」について考えていたところだったので、表現(「表現」なんて言葉を使ってるのも恥ずかしいですが)とか、人前でなにかをするってことはまず恥ずかしいことで、それを大切にしないといけないんじゃないか、恥ずかしさがなくなったらお終いなんじゃないか、でも俺は恥ずかしげもなくいろいろ書いていて、毎日書いたものを投稿することになんの抵抗もなくなったけれど、掘り出したら出てきた小説はちょっと恥ずかしくて、昨日書いた小説は恥ずかしくないのに、五年前に書いた小説が恥ずかしいのは、なんの違いなんだろう、とか、そういうことを考えていて、その「恥ずかしさ」の違いはなんなんだろう、と思います。
 話を戻します。土日は少年野球の練習があって、帰ると靴下の中に泥がいっぱい入っているので、帰ったらすぐ風呂に入りなさい、そのまま家に上がられると家中砂だらけになるから風呂に入って、と言われて脱衣所までべったり足をつけて歩く(普通に歩く)とその導線が砂まみれの足跡がつくから、かかと歩きか、玄関で靴下を脱いで、濡らしたタオルで足を軽く拭いてから脱衣所まで行って服を脱いで風呂に入り、そのときはちょうどTOKYOMXで「ウルトラマン」の再放送をやっていました。風呂の中でそれを見ていました。とくに印象深い回があったというわけではないのですが見ていて、本当は今は怪獣墓場、シーボーズの回が見たくて、『残光』にも死んだ人のことがたくさん出てきます。具体的なところはパッとは思いつきませんが、死んだ人の話がたくさん出てきます。前に小説にもすこし書いたことがあるのですが、そのとき少年野球で一緒に野球をやっていた友だちが今から四年後か五年くらい前に自殺したそうです。わたしはその人の話をもう少しちゃんと書いてみたいと思っています。
 そもそも政治家というのはあまり好きではありませんが、YouTube田中角栄が最後にしたスピーチが出てきて、その中でこれはその動画を見ながら書いています、
「これはもうちゃんとルートもみんな決まっているんです。群馬から北群馬を通って、今の軽井沢、それから佐久へ行って、佐久から上田、上田から長野、長野から飯山を通って、飯山から新潟県に入って、そして高田と、荒井のあいだから、脇野田からまっすぐトンネルに入るわけです。
 私はね、新潟県の方にもうすこし引っ張りたいんですけれども、そういうところは公平であります。
 長野県から富山まで290キロ。そして富山から高岡、金沢、敦賀、小浜を通って大阪まで300キロ。とちゅうなかから米原まで100キロ。これ今年中にも予算はついています。」
 なんだかわからないけれど、理由はこれかなと思うものが一つありますが、グッときたのは地名がポンポン出てくる、それがなんかいいなと、思いました。
 やっぱり手書きのほうがいい。手書きしてそれを音声入力して活字にしてブログにアップしていたんですが、それがひと段落落ち着いてからはスマホとかポメラに書いていたけれど、あんまりしっくりこなかったから書いていなかったんですが、こっちの方が断然いいので明日から手書きで書きます。『菅野満子の手紙』の続きをまた読む。

ディオニソスの祭り(18)

2024/03/05
 バレンタインデーの手作りのシフォンケーキとチョコは食べずに捨てた。
「あとで休憩中にいただきます」
 と言って、帰り際にいくつか残っているのを
「余ってるからもらってって!
「ありがとうございます
 と言って食べずに捨てた。
 食べられる人と食べられない人が明確にいて、その線引きははっきりしている。
 ゴミ出しをする。部屋に辻仁成の、
「気分が下がったら
 人間も下がり続ける。
 気分を上げよ。
 上げる方法を父ちゃんが教えたる。
 まずゴミを出せ
 親友に電話しろ
 部屋の窓を開け
 光の中を歩け、なんなら走れ
 大笑いしろ
(以下割愛)」
 仕事をして、きょうはなんとなく、よくなかったな、いくら仕事とは言え、相手のことをまったく、ではないけれど、なんか軽んじているような感じで仕事をしてしまったことがずっと尾を引いていて、気が気じゃない。

 ほんと「慣れ」だな、と思う。できなかったことも「慣れ」ればできるようになる。自信もつく。引き出しが多くなる。こういうミスなら、こういう問題が起こってるからじゃないか?と推測できる。それは経験で得られる。天性のものではない。やればできる。できなくても誰かできる人にやってもらってそれを見ていればいい。「慣れ」ればできる。日本に移民が少ないという話を聞いた。スペインに比べて、だ。いっぱいいろんな国の人がいれば目が「慣れ」る。「慣れ」れば怖くない。知らないから怖い。知れば怖くない。完全に怖さがなくなることは、移民とか外国人とかにかぎらずあらゆることで、ないかもしれないけれど、多少は緩和される。