PINFU

毎日書く訓練

1ヶ月半前に友だちのSに、私がSが「古代エジプト展」に行ったストーリーに反応したから教えてくれたのか、Sが共有してくれたのかは忘れてしまった、

1ヶ月半前に友だちのSに、私がSが「古代エジプト展」に行ったストーリーに反応したから教えてくれたのか、Sが共有してくれたのかは忘れてしまった、たぶん後者だと思う。だから私(私というか俺)は友情をかんじたけれど、そのSがオススメしてくれた「古代エジプト展」を見にきた。
わりと早起きして、「はやく起きた朝は」を見る。松居直美がハガキを読みながら泣いていた。どんな内容だったかは忘れてしまったが、あのとき5歳だった娘は今年二十歳になりました、みたいな話で、磯野貴理子つば九郎が亡くなって以来、泣いていない、と言っていて、
泣かない、泣かない
と言っていた。

鈴木蘭々「泣かないぞェ」

お前、人が人の生き死にで泣いてるのにそれを茶化すようなこと書くなよ。

茶化したいわけではない、でも、人の生き死にの話をしているときに、こういうことを言ってはいけない、っていう、自分の中にある「抑圧」に抗いたい。
だから申し訳ない、磯野貴理子にも鈴木蘭々にも。

それで「美・アンジェリー先生のはや起き3人占い」も見て、今回は西武池袋線のダジャレで、私は2問とも正解した。ここ最近の中ではかなり盛り上がってたと思う。
   *
今週はけっこうしんどい1週間だった。まだ今週はおわっていないんだけど、
   *
「ぼく、ペンネームは浅田飴から取ったんです」
浅田飴ってぼくらが子どもんときはよくCMやってた気がするんだけど」
「やってましたね、ボラギノールと」
「痔にはボラギノール!」
「ペンっ!」
さいごの「ペンっ!」というのは「使用上の注意」が出るときの音だ。
最近もテレビでは浅田飴ボラギノールのCMをやっているのかもしれない。浅田飴は忘れたが、ボラギノールは土曜か日曜の夜の番組、日曜なら「サザエさん」のCM(しかし「サザエさん」はつい最近まで東芝の一社提供だった)で、土曜なら「もしもツアーズ」とかだった。よく覚えていない。
テレビも最近みなくなっちゃってさぁ
と、訳知り顔で言うのもいやなんだけれど本当に見なくなってしまって、YouTubeを見ているが、でもYouTubeで見ているのもYouTuberの動画ではなく、昔のテレビバラエティーの違法アップロードのものやラジオばっかりで、
「精神的メタボリックシンドローム
とある人が本に書いていた、この「ある人」は今名前が頭に浮かんでいるんだけど、その人ではなかった気がするので一応「ある人」としておくが、その「ある人」が本の中で使っていた具体例ではなかったかもしれないが、昔を懐古して、
「懐古するのは昔しかありません。意味の無駄な重複です」
と俳句の先生に言われるかもしれないが、私は俳句をやっていない。
昔を懐古して、
「あのときはよかった」
と、歌謡曲なら昔の歌謡曲しか聞かないで、今の曲はいっさい聞かないのに、外野から文句を垂れる人のことで、私はまだ28なのにもう「精神的メタボリックシンドローム」オヤジになりかけている、というかなっている。

よくあることさ

日向ぼっこしに川沿いへ来た。
この川沿いには、小学校時代に通っていた少年野球チームでキャプテンをしていたヨコタくんの家がある。私はそのトイメンの岸にいて、向こう岸の、堤防の向こうに車がギリ行きかえる道路があって、その道路沿いにヨコタの家がある。
そのときは、家の前にたしかダイハツの、普通乗用車ではなく、仕事に使っている人が多いミニバンが停まっていて、たぶんお父さんの仕事の関係で使っていた車なんだろうけど、ヨコタんとこのお父さんは少年野球チームのコーチをしていて、遠方のグラウンドで練習するときはコーチとか保護者さんの車に乗って子供たちは免許持ってないから移動するんだけど、ヨコタさんの車にも何度も乗せてもらったけれど、車内はあんまり仕事で使ってる感じはなくて、もしかしたら本当に家庭用として、こういう趣味で使っていたのかもしれない。
当時は「ヨコタ」なんて呼び捨てにはしなかった。そもそも話もしなかった。向こうはチームのキャプテン、1番ショートで、私は万年ベンチ、スタメンで試合に出ることはなく、代走からスタート(たいして足も速くなかったが、無理やり選手としての特徴としたら足が速いくらいしかなかった)して代打、そのままライトへって感じで、9番ライト。
私がいかに野球ができないかって話もおもしろいけど、でも「9番」で、しかも「ライト」って、少年野球にとっては野球できない奴の代名詞だし、試合には出られなくてもベンチから相手選手に出す野次がおもしろいやつとかいて、それはワタナベくんというやつで、ワタナベは同じ小学校から通っていたスギヤマというピッチャーに、
「お前性格変えろ!」
と急に試合中言い出して、相手チームのコーチたちも笑っていたが、ワタナベとしてはちょっと不調ギミだったスギヤマに、エールをこめて、「もっと堂々と投げろよ!」と言いたかったんだろうけど、
「お前性格変えろ!」
と言ってしまって、監督は怖かったが、怒ってる顔より笑ってる顔の方を覚えている。
カトウ監督と言った。もしかしたらもう亡くなっているかもしれない。もう15年も経つ。

こんなことを書いていたらさっきまで日が出ていたのに雲の中に隠れてしまった。小さい白い犬が私の前で吠えている。
飼い主のおかぁちゃんは笑っている。
「それはお兄さん。お父さんはあっちでしょ。ごめんなさいね、もう。お兄さんに興味シンシン」
犬は私の前から離れない。私は白い犬をずっと見ている。川の堤防に降りる階段のような、古代ローマの劇場みたいな、下に降りていくときには階段になるけど、そこに座れば客席になる、ああいうところに座っていて、下にいる白い犬と飼い主からは私がM字開脚をしているように見える。股間を強調しているように見える。白い犬は私の股間を見ているのかもしれない。それは性的興味ではなく、犬はケツのにおいを嗅ぎ合うとなにかで聞いた覚えがある。親愛のしるしとして、犬は鼻がいいから、この距離でもナニかを、感じ取ったのかもしれない。もう白い犬の目線になってしまえばいいが、今はめんどくさいので今度にする。
また日がでてきた。あたたかい。部屋にいても寒いから外へ出てきた。
借りていたDVDを返してきた。
きのうエロDVDを3本借りてきた。
「急な車線変更のときとか膨らむときは必ず後ろを見る。こういう歩道であろうと、車道であろうと」
母親が子どもと自転車に、それぞれの自転車に乗っていて、母親が前を走りながら、後ろからついてくる娘に、自転車の乗り方を教えている。小さい娘かと思ったら中学生くらいに見える。
そんなことを書いてるうちに日がまた雲に隠れて、また出てきた。白い犬はどこかへ走って行った。リードを持っていたおかぁちゃんは、見た目のわりに、白い犬の急激な加速についていっていた。
借りてきたDVDのいくつかを返してきて、レンタルビデオ屋にあった自販機でスポーツドリンクと温かいボトル缶のコーヒーを買って、川沿いまで歩いてきた。
近くに団子屋があって、もしかしたら開いてるかと思って行ったが開いていなかった。
近くに大企業のビルがある。その社員が平日買いにくるのだ。だから日曜定休でも問題ない。
団子屋は開いてなかったので引き返してしばらく歩いてこの堤防に来た。
Kさんが今度本を出した。表紙は木の枝に絡まった凧揚げの凧の絵になっている。この絵はKさんが描いたものではない。しかしその写真を撮ったのはKさんで、Kさんが絵描きの人に何枚か渡した写真の中から絵を描いてくださいとお願いして、描いてもらったのがこの木の枝に絡まった凧揚げの凧の絵だった。
ってことはもとになった写真があるわけだ。だからKさんは自分が撮った写真をそのまま表紙にしたっていいわけだ。でもそうしなかった。

「音楽は人が鳴らすものだと思うんです。声も音も。人が生み出すんです。
音楽は今や手軽に持ち運べてどこにいても楽しめるようになりました。
それは素敵なことですが、本当は人から音が鳴るんです。
勿論人が違えば音も違います。
ライヴは、人が奏でる音がこの世に生まれる瞬間に立ち合える素晴らしい場所。
耳や目だけでなく、空気でその瞬間を感じていただけたら嬉しいです。

肌で聴こう、素敵な人の素敵な音。」

そういうことだ。
写真も人の生み出すものだが、絵はもっとプリミティブに人が生み出すものだ。

そういうことだ。
そんなタイトルの曲があった。
ビールのCMとかに使われてる。チョー有名な曲。
YouTubeで検索したが出てこない、そのうち思い出した。トム・ジョーンズの「よくあることさ」

「よくあることさ」 いいね
タイトルにしてしまおう。
寒くなってきたからスポーツドリンクとコーヒーを飲み干して帰る。
   *

「この小説はとても批評精神に満ちている」
 というような、小説を褒めるのに小説が批評的だ批評性が強いと言って褒める、そういえば同じように、
「この小説の文章はとても詩的だ」
 それなら小説を書かずに詩を書けばいい、そしてうっかりスルーされるのが、
「この小説は物語性に富んでいる」
 小説を褒めるのに批評をもってくる、詩をもってくる、物語をもってくる、それでは小説はどこにあるのか、小説とは空っぽの器なのか、——私はさっそく違うことを言い出した、批評の何がつまらないのかだ、
保坂和志「鉄の胡蝶は夢の記憶に歳月に彫るか」『群像』2025年4月号、p.340)

買えばいいのに結局Twitterで読んで
「はいそれまでェよ」
としてしまう。
先月の自分の名前が載った「群像」だって買ってない。今月は載ってないが、タイトルからいい。
「黎明にカフカベケットは信夫とリンチした」
保坂和志は書くことの自由さを教えてくれた。そこからのびていって、大きな商業のレールではないところで、自分たちでzineと呼ばれるものを作って販売している世界を知った。
しかしその世界で活躍していた人たちは、商業誌からお声がかかるとそっちに行ってしまった。
保坂和志は「鉄の胡蝶」を掲載ページをそのままアップしている。しかし「そっち」に行ってしまった人は「ボカシ」を入れる。
   *
自分がそれになにをムカついてるのかもよく分からない。勝手に期待してて、それを裏切られたような気持ちになっているのかもしれない。
「まったく青臭いこといいやがって。」
「そんな「理想」じみたことだけではやってけないんだよ。」
「商業は金と契約が要なんだよ。1人で作ってるのとは訳が違うんだよ」
とにかく私の中の「社会くん」が物知り顔でいろいろ言ってくる。
「でも俺的にはこれ(「万事快調」)を「小説」って言ってくれたからかなり気持ちが楽になりましたよ。俺もこういう文章しか書けないって思うし」
先週向井さんと飲みに行った。酔って、TwitterでDMを送ったら
「明日なら空いてますよ」
と返信してくれた。
やきとんの店で飲んで、そこで飲んだエビスビールがおいしくて、今週はエビスビールを飲んでた。
どことは言えないが、生ビールのサーバーをちゃんと洗浄していない店のビールは臭い。
あんまりムカつくからほんとはどこの店か言ってやりたいぐらいなんだけど、俺はビールはそうとう好きだけど、ほんとは残したかったけどもったいないから我慢して飲んだくらい臭いところがあった。臭いだけならまだしも(いや、それもかなりキツいが)目に見えてよくないことになっていたから、もうさすがに、文句言いたいぐらいなんだけど、言わなかった。
でも向井さんと行った店のビールは、飲んで、
「うまっ」
って言ってしまうほどうまかった。
   *
とてもお世話になっている人がこの春で退職することになった。
朝礼で本人からその話があった。
まったく寝耳に水で、もしかしたら、というか、たぶん異動するんじゃないかとは思っていたが、まさか辞めてしまうとは思わなかった。有給をたくさん取っていた理由もわかった。
「途中で抜けてしまう形になってしまって申し訳ない」
と言っていた。
それは全然申し訳ないことじゃないと思うんだけど、その人はそう言っていた。
   *

3月4日(火)
休日うれしい、ジムにスクワットしに
行ってから映画
パレスチナの人たちが早く安心して眠
れるようになるといい
パレスチナの人たちだけじゃない、全
ての人たち、全ての犬たち

3月5日(水)
風呂屋バイト
本指と新規、どちらも100分
めずらしく挿入で気持ちよくなってし
まうがイクまでに至らず
ドーピングしてから来たとの事で納得
の持続、回復力

   *
隙間さんのツイートから引用。

隙間さんとはいつだかの「日記祭」で会った。
日記祭とは下北沢のBONUS TRACKで4月とか12月におこなわれる、作った日記本を持ち寄って売るイベントで、

その前に、
今飲み屋に来てて、お腹空いてるからいきなりかんぴょう巻き頼んで食べたんだけど、中にわさびが入ってて嬉しい。

それで、私は出店してなかったけど隙間さんが出店してて、ほとんど隙間さんに会いたくて下北沢に行って、隙間さんに会った。
ちょうどその前にツイッターのスペースで、岩波文庫の『カフカ短篇集』で読書会を、私の主催でやる予定だったが、開催の2日前にコロナに罹ってしまい、事情を説明して中止にさせてもらったこともあって、私は会ってすぐ隙間さんに謝った。
「すみません、日程を調整していただいたのに体調をくずしてしまって……
「ぜんぜん大丈夫ですよ
隙間さんは私の右肩をポンと叩いた。
恐縮してしまって、
「一冊ください
と、隙間さんの日記を買った。タイトルは「うつわ日記」、家に帰って開けてびっくりした、
日記は本になってなくて、縦長のジップロックの中に、写真として印刷したLINEのタイムライン(隙間さんは、どういう関係の人かは私は忘れてしまったが、まったく既読のつかない相手に毎日LINEで日記を送り続けていた)のスクリーンショットを写真に印刷したのを3〜40枚、そのジップロックの中に入っていて、私は、親の遺品整理をしていたら引き出しから出てきた写真の束をめくるみたいに隙間さんの日記を読んだ。

隙間さんのツイートはよくわからないものがあって、
「1」
とか
「2」
とだけツイートされる、筋トレもしている(ツイートで分かる)らしいから筋トレのなにかメモなのかと思っていたら違った、のが日記を読んでわかった。
   *
もっと早く言わないといけないことだったかもしれないが、さっき引用したのは隙間さんの日記ではない。
隙間さんのセックスフレンドなのか(正確なところは分からない)Tさんという方の書いた日記だ。それがとてもいい。こういうふうに俺も書きたい。
   *

3月5日
8時起床。Tがパンを焼いてくれた。
見送った後睡眠薬を飲んで家を出る。
9時始業。面談と競合対策、クレームの
メールを作成→送信。「などで」という
あいまいな表現は有利誤認に該当しま
すご回答ください
Dさんとランチ後MTG
役職候補にTさんを提案するもリモー
トするからやめとこう、結婚するKさ
んはどうか?など話す。19時終業。
ジムで胸、肩、腕を鍛える。
数えない方が追い込める、スクワット
嫌だな、など思う。
21時ごろ帰宅。自慰を済ませて食器を
洗う。レコードをかけてハルシオン
ブロンを半分プロテインで流し込む。
紙を噛んで瞑想。5分で断念し養命酒
白州で割ってそのまま飲む。
日記を打ちながら chatworkを確認、
にがりを舌下投与して眠気を覚ます。
インスタで作家パトロール、週末
futouに行こうかな・・何時に寝たか思
い出せない

   *
これが隙間さんの日記。
正直、隙間さんの日記にかなう日記をだれも書いていないと思う。
それは赤裸々に書いてるから、とかではない。
隙間さんはものすごく上品だ。
   *
ウメヅ先生
体罰教師の生き残り
   *
小島信夫ブルーノ・タウトの椅子」を読んでいるが全然進まない。
『月光・暮坂』に入っている短篇は多くの部分が「異物」で、飲み込むのにものすごく時間がかかる。つらい。
先週くらいの「博士ちゃん」(テレビ朝日)で、オフコースの「Yes-No」のイントロの解説をやっていて、歌に入る前に変化の激しい転調がある、その変化をより激しく(ドラマチックにするために。この前の「小説的思考塾」で保坂和志が「ドラマチックと物語性があるの違いはなんなんだ?……まあいいや」と言っていた。たしかにその違いはなんなんだろう。さっき引用した「この小説は物語性に富んでいる」という褒め言葉がよくあるけど、だったら物語をはじめから書けばいいじゃないか、なんで小説そのものをそのまま褒めないんだ、って話から小説と物語の違いはよく分かった。私も物語と小説はほぼ一緒のものだと思ってた。だから自分が書く小説に物語性がないから、「これは小説なのかな?」と思っていた。もう物語性は求めない)見せるためにイントロは長めになっている、でも現代ではこんな長いイントロの曲は作れない、という話があって「Yes-No」もイントロは40秒弱くらい、今日曜日の早朝で、「はやく起きた朝は」が今月で地上波は終わってしまってCSで、さっきアナウンスを聞いたら第2日曜日の放送っていうから月1の放送になってしまうのか、日曜の朝はやくに聞いた感じでは長いイントロには思えないけれど、でもアルバムもイントロが長いとイントロのうちに曲に見切りをつけちゃって、次の曲に飛ばしたりしてたのは、私がスマホを持つ前から、中学生のときに自分の家にCDプレイヤーを持ってきて、まだiPodみたいな音楽プレイヤーは世間にはあって、持っている友だちはいたけれど、我が家ではそんなもの買ってくれなかったから音楽を聴くとしたらCDだった、父親がCDマニアで家にたくさんあった、父親のラックからパクっていろいろ聴いていたけれど、アルバムを一曲目からちゃんと聴けない習慣は中学生くらいのときからはじまっていて、スマホで音楽聞けるようになったらなおさらそうで、前々から「これはよくないなぁ」と思いながらなかなか改善できないでいる。

小島信夫を読むのは苦行である瞬間も多い。
でもその代わり、面白い部分、アメの部分が来ると、それは激甘なアメだから、昔、心理学の実験で、猿にボタンを押すとランダムなタイミングで餌が与えられるボタンを押させたら、永遠にボタンを押し続けるようになったって実験があって、実験の名前を調べてみたがわからなかったけど、心理学では「連続強化」とかって名前がついてるらしい、小島信夫の小説はそれに近いというか、たまに激甘なアメがでてくるから、それまでの苦行にも耐えられる感じがある。

前に「オーラの泉」の杉田かおる回の話を書いた。

前に「オーラの泉」の杉田かおる回の話を書いた。

で、石野卓球を思い出した。
ピエール瀧が捕まって、報道陣がいちばん過熱してるときにどっかのライブハウスからライガーのマスクをかぶって出てくる、ドキュメンタリー映画の一部がYouTubeにあってたまに見る。最近見た。で、ディアゴティーの、初回だけ安くて、あとは定価ってやり方はヤクの売人と同じ手法だって話があって、それと、電気グルーヴYMOについてしゃべってる、これもYouTubeにあるけれど、全編の冒頭5分くらいは腹がちぎれるぐらい笑った。
   *
朝、ジェイムズ・バーンズの交響曲第3番を聞いた。「悲劇的」というタイトルがついている。
悲劇的ってことは、悲劇ではない。
山下澄人は、
「「〇〇感」という言葉がわたしは昔から不思議で、あれはどっちですか、「こどく」なんですか「こどくっぽい」んですか。てことは「こどく」ではないのか。「焦燥」なんですか「焦燥風」なんですか。劣等感もそうで「劣等」なら悩むまでもない劣等だから。ならどうするという話になるが「感」といわれると、もう本レース走ってる選ばれし競走馬が「ぼくだめだ勝てる気がしない。だって遅いもん」的なものをすぐにイメージしてしまって「肚決めて走れ!馬肉になるか!」となる。パワハラしそうになる。隠し事をするなと育てられても隠しますよね。だけど隠し事はするなといわれているからバレたらマズい。そしたらとても上手く隠さなきゃいけなくなる。おくびにも出してはいけない。テクニックが磨かれる。だけどあなたの書きっぷりだと「罪悪感」というまた新手の「感」が登場して来そうだ。ウルセェババアとはやりそうにない。言葉は恐ろしいから、あんなくだらない感感言葉があるからモヤモヤするわけですが、あるのだから仕方がない。跳ね飛ばすのは知性だと思います。勉強頭ではなく知性。知性に勉強頭はよほど上手く使えば便利だけど、だいたい間違える。勉強頭は自分がバカだと思えない。バカなのはいつも相手だ。わたしは「ウルセェババア」と逆ギレするマインドこそを知性とする、世間に理解されるとは思えない考え方です。だから「感」はないです。わたしは「こどく」だし「焦燥」はないけど常に「不快」で「不機嫌」ですから、創作はすべてその逆で起こることを知っている。知っているけど「そうそういつも上機嫌でいられるかよ」と不機嫌なので瞑想をよくします。」
と書いている。

この曲はべつに前衛音楽ではない、
いや、前衛なのかな? そのへんの知識はまったくない。たぶん前衛ではない。
第1楽章の前半をききながら、はじめて聴く曲はすべてそうだが、次どんな音が出てくるか分からない。

落合博満イチローとの対談で、テレヴィ対談だが、
「うまいバッターは線で引っ張ってきて、点で叩くの。下手なバッターは線ないの。点しかない。飛んでくるボールに自分から衝突していくしかない。」
はじめて聴く音楽もこんな感じで、点に消灯していくように聴くしかない。
と考えると、小説もそうなのかもしれない。
小島信夫「遅れる男」という短篇を読んでいる。
   *

堅気でない人に呼ばれて行った。
額に傷のある見るからに怖そうな人だった。
セックスも贔屓目に見ても乱暴な感じで、
ょっとした恐怖で性欲が上がったり下がったりで、
まるでジェットコースターのような気分を味わった。
終わってほっとして彼の顔は満足そうで、
ちょっと安心してぼくたちは世間話をはじめた。
ぼくが雑誌に載せている広告を見て、
いつも電話したいと思いつつも
「高嶺の花だと思っていたから、
おいそれと電話なんてできなかったよ」と言われる。
すこしうれしかった。
彼はいつも自分がやっている仕事と、
セックスについて罪悪感を持っていて、
週末には必ず教会にいって賛美歌を歌って、
懺悔をするのだと言う。
帰り際、バッハの賛美歌を集めたCDをもらう。
なんだか不思議な気持ちで、ぼくは駅へ急いだ。
罪悪感ってなんだろう?
暴力に対して?
それともゲイである事に?
それにしても人は誰でも、なんて寂しい存在なんだろう?
なんてことをぼんやりした頭で考えていた。
(アキラ・ザ・ハスラー『売男日記』loneliness books、p.72)
   *

子供のころ、父親は忙しくてあまり家に
いることができずに、寂しそうだった母親は、
ぼくにスーパーの広告の裏の白いところを
手渡して絵を描かせてはそれを見ていつも
本当にうれしそうに喜んでいた。

今ぼくが客をイカせて、喜ぶ顔に喜ぶ気持ちは
その頃の気持ちとほとんど変わらない。
それに加えて、人が人と肌を触れ合わすことの
尊さを教えてくれた母にいくら感謝しても
足らないくらいなのに、いまだにぼくは
「そんなあなたのおかげで、ぼくは黄金の心を
持った売春夫になれました」
と、報告できないことがとても悲しい。(p.64)
   *

コムデギャルソンのスーツを着てる酔っ払った客が来た。
酔っ払っているので非常に乱暴。
最初のうちは我慢するが、とうとう切れてしまう。
どうしてくれようと思い考えた末、
そいつのケツにちんちんを入れることにした。
ものすごく痛かったようだ。泣いていた。
「こんなに痛いのは初めてだ」という。
その後彼は、信じられないような優しいやり方で、
ぼくを愛撫し、フェラチオをした。(p.88)
   *

彼の日記の最後の方には、こんなことが書いてあった。

杉浦日向子氏いわく、
「だまって通えば浅草があなたの休日になる。休日に浅草に行く、のではない。浅草へ行くこと自体があなたの休日になる」
休日のなんたるかを言い当てて、けだし名言である。
「浅草」を「アキラ君のとこ」に、ぼくは言い換える。
仕事が休み、学校が休み、そういうことばかりが休日ではない。二ヶ月に一度、ぼくは休日を取る。
It would be so nice !

サンキュー。ぼくもマドンナの「ホリデイ」は大好きだよ。
(p.140)
   *

ぼくが初めての男だと言う27歳の男の子は、
時々不安そうな目をしてぼくをジッと見つめる。
そしてぎゅっとぼくにしがみついて来る。
かごの中にいっぱい楽しい事とか、
気持ちのいい事を詰め込んで帰ってほしいな、と思う。
いつかそういう事が、勇気に変わる事がある。
ぼくもたくさんの人から、
そういうモノを受け取って来たんだよ。(p.130)
   *
彼はとつぜん射精してくれた。
インスタのライブでは
「ぼくは1日に1回しか出ないから、予約のときにお願いされてもダメなことが多いんだよね。タチも悪くなっちゃうし」
と言っていた。
彼が自分でしごいていたのはムードを高めるためかと、そのときはこんなふうにちゃんと言葉にはなっていなかったけれど思っていた。
ぼくたちはキスをしながらそれぞれ自分でしていた。
「あ、イク」
スベスベした彼のやせたおなかの上に精液がこぼれた。彼は目を開けて天井をみている。すこし口が開いているのがかわいい。ぼくは精液をすこし舐めた。
彼はおなかに精液が乗ったままぼくに乗り掛かってきて、ぼくはその下でイッた。
おなかに乗った精液をティッシュで拭き取った。
マンションを出て左に曲がり歩きながら、今日のその1回をぼくにくれたのが嬉しかった。
   *
この、二人で一緒にしごく行為はなんて名前なのか。
オナニーではない。「しごく」でもない。
「する」とか、「している」とか
漠然(?)とした言い方したできない。「コく」なんてぜったい違う。
セックスの一つではあるんだけど、セックスと一人でするオナニーの中間、その淡いの営み。
   *
保坂和志の「鉄の胡蝶」、やっぱおもろいな、と思う。
これを、文芸のメインストリームにいる人がやってくれている。
小島信夫は80年代、短篇の評価はボロクソだったらしい。ボロクソに言ってた人を「わかってねぇなぁ」というより、「まあ、分からないでもない」って気持ちもある。保坂和志の「鉄の胡蝶」だって、80年代の小島信夫と同じように、
「キャリアのある作家が編集者に直されないのをいいことに、だらだらとした文章を書いている」
と見えるのかもしれない。
分からない。
私は2019年にいる。
2020年に私は保坂和志に出会う、もちろん本人に会うのではなく文章に出会う、けれど、2020年に保坂和志に出会わなかった自分はもうパラレルワールドの自分で、想像するしかない。しかしその想像力はヒンコンで、私は文章を書くときに想像力は使わない。使えない。
自分の話はどうでもいい。
どうでもいいといいながらすぐ自分の話になる。小島信夫をダシに自分の話を書いている。
この前の小説的思考塾で、
小島信夫を読みたいんだけど、初心者には何がいいですか?」
ときかれて、『各務原・名古屋・国立』をおすすめした。しかしその、質問してくれた人はタイトルを私が言ったとき、
「え? え?」
と何度も言っていたのでたぶんタイトルを聞き取れていないから読んでいないと思う。かろうじて、
高橋源一郎の解説が最高です」
と言ったのは聞こえた。だから私はそれをもとにネットで検索したが見つからなかった。
   *
本屋に、今年は昭和100年らしく、関連した(?)本がたくさんあるが、昭和のなにがそんなに良かったのかよく分からない。
「明治よかったね!」
と言ってた人もいるのかもしらない。
しかし全員死んでる。
「大正よかったね!」
と言ってた人もいるのかもしらない。
しかし全員死んでる。
「昭和よかったね!」
まだ生き残りがいて、生き残りがそう言ってる。
昭和100年。
昭和元年に生まれたひとは100歳。
生きててもふしぎではない。
なにがそんなによかったのか、こんど両親に聞いてみます。
   *
謡曲YouTubeをみれば馬鹿みたいに
「このころの歌手はホンモノだった。
いまのアイドルなんか聞いてらんない」
と馬鹿の一つ覚えみたいに、歌謡曲きいてそれしか言えないインポ野郎しかコメント欄にいない。
死ねばいい
今日ご紹介するのはこちらっ!
仮面ライダーX」の第一話、「X.X.Xライダー誕生!!」によせられたコメント(もちろん動画は公式)、
仮面ライダーは最近より、昭和時代の方が見てて楽しめる。」
このコメントに「148」もいいねがきてる。
おれも「いいね」がほしければ、中森明菜の動画に、
「明菜は本物。もうこのレベルの歌手は出てこないだろう」
と書けばいい、そうすれば200いいねぐらいくるんじゃねぇか?
あと、
「わたしは24歳ですが昭和の歌が大好きです」
と書けば、
オッサンどもがわらわら湧いてくる。
フ◯ック
明菜は悪くない。明菜をダシにしてる奴が悪い。
「あれ? あなたさっき、小島信夫をダシにしてるとか書いてませんでしたか?」

 書いてません。

「うそ言うてるやん」

 はい、書いてます。

兵庫のサイトウとか◯◯◯◯◯ーだと思うよ。

−◯◯◯ー

だんご3兄弟

 はなくそ

 アナルファック

 前立腺開発事業、反対!

 人間だもの

 人間だからアナルをファックしてほしい

「アナル、きもちいいよ?」

「19へぇ」

トリビアの泉の公式本

オーラの泉

轟轟戦隊ボウケンジャー

変身アイテム「冒険携帯 アクセラー」

タイムレンジャーの「クロノチェンジャー」をCSMシリーズで出して欲しい
   *
向井かけるさんと飲む。
向井さんとはなんどか一緒に飲んだことがあるけれど、今までは、どの作家に影響されたとか、誰のナニがおもしろかったとかそういう話だったけれど、今回はずっと、
次こういうの書きたい
こういうの作りたい
ああいうことはしない方がいい
とかそういう、自分たちの実作の話で楽しかった。
また私は例によって酔って、パーパー気前のいいことばかり言っていた。

「オーラの泉」をYouTubeでなにかの拍子に見ちゃってから、関連動画でたくさんでてくるようになった。

夜中に歯磨き粉がきれた、というか今朝きれて仕事終わりに買ってくるのを忘れて、寝る前に歯を磨こうとしたらなくて、もう1時で、ドラッグストアは開いてないから、コンビニで歯磨き粉を買った。
   *
オーラの泉」をYouTubeでなにかの拍子に見ちゃってから、関連動画でたくさんでてくるようになった。
オーラの泉は2005年から2009年までやっていた番組で(ウィキペディア)、金曜の20時くらいにやってた気がしたが、その時間はミュージックステーションだから違う。私も幼心にたまに見ていた。
「見ていた」と書くと自発的に見てたように聞こえるがそうではなく、若い人には信じてもらえないかもしれないが昔はスマホなどなく、みんな同じリビングにいながらそれぞれのスマホの画面を見ているのではなく、テレビはリビングに1台で、みな同じものを見ていた。
だから親の趣味で点いているものは自然と(イヤでも)目に入った。
こうして書いてしまうとなんか記号的だが、日常はもっとゆるやかに繋がっている。それに「オーラの泉」は両親の趣味ではない。前番組からのつながりでそのまま点いていた。
   *
杉田かおるの回が流れてきて、
「あなたのね、おじいさんが憑いてるの。
たいへん酒乱の方でね、あなたがお酒好きなのは、そのおじいさんがあなたに飲ませてるからなのよ。
だからね、杉田さんね、一回ね、お酒絶った方がいいと思う。
一度絶ってね、ああこいつに憑いてても飲めねぇや、と思ってくれれば離れてくれるから」

きのう知ったTokyo Disco Music All Night Longをずっと聴いてる。

きのう知ったTokyo Disco Music All Night Longをずっと聴いてる。
   *
職場では笙野頼子『母の発達』を読んでいたが、小島信夫短篇集成⑥を読みたい気分で、読みたいなぁ、と思っていたが、重たいから、朝は笙野頼子の気分だったから持ってきた。
   *
仕事終わりに駅前で飲む。店員さんがかわいい。でもたぶんこんなかわいいなら彼女さんいるんだろうなと思う。
   *
冒頭で「きのう」と書いたが、この日記は日付もついていない、アップする日も、古谷さんのように、書いてからずいぶんあと、にしようと思っている(思っている、というかそうした)のでますます日記のくせにいつ書かれたものかわからない。
「ざまーみやがれ」
だれに向けて言ってんの?
それは分からない。そんなどーでもいいこときいてくるな。分からない、わからないけどだれかにむかって言ってる。「権威」? 「あなた」? とにかく「ざまーみやがれ」
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ざまーみやがれ
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ざまーみやがれ
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「ざまーぁ」だと感じが出ない。
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「みやがれ」がいい
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ざまーみやがれ
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小島信夫のさまざまな小説についてさまざまな感想が書かれているが、どれも、たしかにそうだな、と思う。
私にとっての感想は、ある。
でも小島信夫はその読み方だけではない。
きょう読んだ「うるわしき日々」の感想は、
「おそらくワザと回りくどく描いている。意図して煙に巻くように描いている。」
と書かれていた。
一瞬「そうかな?」と思うが、「そうかな?」と思った自分に疑いをもつ。
小島信夫ほどの手だれはわからんぞ?」
と思う。
「それぐらいのことはやるぞ?」
と思う。
小島信夫に「意図」があったのかどうかは分からない。しかし、小島信夫ほどの小説家ならそれぐらいの「意図」はへーきでこなしてしまう、と思う。
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小島信夫は死んでいる。死んでいるからこそ好き勝手考えられる。
わりとするどいこと言ってるかもしれない。分からないからこそするどいことが言える。

「小島信夫」って。いかにも堅苦しい文学を書きそうな名前だ。

保坂和志「鉄の胡蝶」にPINFUと野本泰地が登場した。
毎日? 2〜3日にいっぺん? ぐらいのペースで保坂さんは文芸誌に載った「鉄の胡蝶」を4ページずつアップしていて、私の名前と野本さんの名前が登場してきた。前回の「小説的思考塾」のときに野本さんが『小島信夫を読んで考える』を渡してくれて、読んでくれた。

私はそれを今日読んだ。しかし文芸誌が発売されるのは今月の7日とかで、もう20日近く経っている。その20日近くのあいだ、世の中にはこの文章がすでに発表されていて、私は知らずに過ごして、さっき読んだ。

これを読んで小島信夫の小説、文章、書き方を、とても素直に、
「自由」
 と楽しんで受け入れるという以上に励まされたり勇気づけられたりする人がいることを本を開きながら目撃した、
保坂和志「鉄の胡蝶は記憶は夢に歳月を彫るか」「群像」2025年3月号、p.327)

と保坂は書いてくれているが、保坂和志がいなかったら私は小島信夫のおもしろさには気づかなかった。名前すら知らずに死んでた。「小島信夫」って。いかにも堅苦しい文学を書きそうな名前だ。

 若い人たち小島信夫の文章を読んで途惑ったり苛立ったりせず、
「自由でいいなあ!」
 と楽しい気持ちになったというのを聞いて私はキリストにおけるパウロノヨウナ気持チニナッタ、私ハぱうろノヨウニ一途ニ小島信夫ノ魅力ヲ説キツヅケタ、小島信夫トイウノハ作家ノ名前デアルガ書クコトヤ読ムコトノしすてむデモアル、せしる・ていらートイッタラふりーじゃずノ運動ノ全体マデ人ガいめーじスルヨウニ、でれく・べいりートイッタラアノ音ナンダガアノ音ガせしる・ていらートカでれく・べいりートカイウ固有名詞モ超エル、——
(同前、p.328)

まさに私にとって保坂和志パウロだった。

「自由デイイナア!」
 ト楽シムコトノデキル人タチガ数ハ少ナクトモタシカニ生マレテキテイル一九八〇年代、小島信夫ノ単行本デイエバ、月光トカ平安ニ収録サレテイル短篇ガ書カレテイタ頃、講談社文芸文庫小島信夫後期作品集トシテ「月光・暮坂」トイウたいとるデマトメラレテイル短篇ガマアソノ時期トソレ以降ノ短篇ダガ、八〇年代、小島信夫ノ短篇ノ評判ハぼろくそダッタ、きゃりあノアル作家ガ原稿ヲぼつニサレナイノヲイイコトニシテ、シマリノナイ駄文ヲ書キ連ネタダケノ——
(同前、p.327)

私はボツにされることはない、依頼もない、誰かに頼まれて文章を書いたことは一度もない、もし今後あるとして、いくらでもボツにされるものを書いてやる、アートは質より量だ、ノコノコ頼んできた編集者が後悔するほどボツにしてやる。ボツにされればされるほど駄文を書くことができる。
でも、もう、他人の力を借りなくてもこうしてもう書いちゃってるので、いいです。

きょうの夢は「食人族」だった

きょうの夢は「食人族」だった
私はホラー映画はまったくダメなので「食人族」もみたことはないけど、なぜか寝る前の寝ぼけ眼、意識があるのと無意識とのあいだをふわふわしている、いちばん夢か現かいちばんわからないときになぜか「食人族」のことを考えていて、一回も見たことがない「食人族」の映像が流れこんできた。

舞台はジャングル、「地獄の黙示録」(これはちゃんと見た。おもしろかった。一緒に行った瀧本さんに「地獄の黙示録ってホラー映画じゃないよね?」と確認した)ででてきたようなジャングルの上を、これも「地獄の黙示録」で出てきたような大型のヘリコプターが上空を飛んでいて、このジャングルに住む「食人族」の怒りを静めるために子どもの生贄をヘリコプターから投下した。
もうこの子どもは死んでいて、死体がヘリコプターから裸のまま投げこまれる。ブロンドの長い髪、男の子のようにも見える。
ひとりの男が落とされた子どもへ近寄ってきて、肩を刃物ですこし突く。きれいな血が出てくる。男は生で食える、と思う。
私はカメラマンになっていてその様子を捉えているんだけど、きれいな赤い血が出てきたのを確認した瞬間、男は子どもの脚を持って遠くに引きずっていく。あっという間にフレームアウトして、追いかけてももうずいぶん遠くにいる。それ以上は怖くて見られなかった。上は全部食べられて、足だけ残っているカットだけ見えた。