PINFU

毎日書く訓練

志見祥さんのこと

2023/08/27
 日曜日にしては朝早くおきたら志見祥さんから新しい音楽が送られてきていた、布団の中で聞く、「カーテン」という曲だ、
 いつのスペースだったかは忘れたが志見祥さんは、歌を歌いたい、と、歌詞を作りたくなっている、と言っていた。「カーテン」は歌詞のある歌だった、うーん、歌詞は言葉だから意味を考えてしまうけれど、そもそも意味はなくて、ただ、他の楽器と同じ、楽器のうちの一つとしてあるのかもしれない、ハミングと同じ、でもハミングとは違う、それは意味が乗っているという違いではなく、性質の違い。たとえばメロディーに、
 なんでここでラを鳴らしたんですか?
 と聞かないように、なんでこの歌詞にしたんですか?と聞くのは野暮、いや、「カーテン」を聞いてそういう疑問が浮かんだわけではない、「カーテン」を10秒ぐらい聞いたらすぐ書きたくなってもう聞きながら書いちゃってるんだけど、だから歌詞の内容まではまだ分かっていない、ぼわ~んと聞いて、いきなり、聞き終わるよりも先に書き始めてしまった。

 志見祥さんの名言に「いい作品は、聞いてる人を一瞬表現者にしてしまう」と言ってた、はじめてスペースで話した日で、まさにその通りだと思った、小説家の保阪和志はオーネット・コールマンの言葉を引用して、
「しかしいつかは音楽における自分なりの声をサウンドの中に見出そうと思っているなら、次のことを忘れないでいてほしい。音楽とは他のあらゆる芸術表現と同様、われわれを観察する立場から行動する立場にかえてしまうものなのである。」
 坂口恭平は「ゴダールを見てると30分ぐらいで書きたくてしょうがなくなる。それでいい。それで書いたものをちゃんと公開する。だってゴダールも公開してくれたから俺が書きたくなってるんだから、それがずっと続いていけばいい」
 志見祥さんがなにを聞いて音楽を作りはじめたのか、何を見てアルバムを作ろうと思ったのかそれは分からない、でもなにかの流れを汲んだ志見祥さんの音楽が、今度はわたしにこの文章を書かせている。

 まだ2曲しか聞いていないけれど、水の音が頻繁に出てくる。「カーテン」にもやっぱり水の音がでてきた。分かりやすいのは最後の川の流れる音(?)、すみません、さっきも書いたけど、まだ聞き終わる前にこれを書き始めてしまったから実際は川の音なのか、滝の音なのか、湧き水なのか、水ではないけどそう聞こえただけなのかは分かっていないけれど、とにかく水の音がよく出てくる。「カーテン」は歌が入っているとさっきも今も書いたが、その歌も、なんとなく、水の中で歌っているような、くぐもっていて、それを、たとえば、「志見祥さんの原風景には海がある」とか「朝起きてカーテンを開ける=自分が生まれる瞬間のメタファーとして、羊水の中で歌っているのを表現している」とか、それっぽいことはいろいろ言えるのかもしれないけれど、分からない。分からないけど、志見祥さんがどう試行錯誤してこういうエフェクト? 編集? をしているのかは分からないけれど、でもわたしはそこには意味はなくて、作ったらこうなった、ってことなんじゃないか、と思っている。もしかしたら、水の音がよく出てきますね、と言われて、あっほんとだ、と志見祥さんが言ったらおもしろい、本人がまったく気がついていなかったらおもしろい、なんでそうしたいのか本人も他人もだれも分からない、だれにも気がつかなかったことをわたし1人だけが気がついてすごいねと言われたいわけではない、そんなことはどうでもいい、とにかく志見祥さんの話がしたい。