PINFU

毎日書く訓練

万事快調(7)

2024/01/07
 新宿のホテルを出て駅の方には行かず、そこは初めて行く場所だったからどっちが駅なのかもわからなかった。なんとなくこっちかなと歩いて行った方向は行きに歩いた道とは違う道で、歩いているときにはそれはわからず、ずいぶん行ってから違うことがわかって、引き返そうとしたけれど、目の前の左に進んでいく道がいい感じだった。下り坂になっていて坂の先は右へカーブしている。そのうしろに、たぶん新宿駅の近くに建っている、映画でキングコングが登って、空軍の戦闘機だかヘリコプターみたいなのと戦っている有名な、先端がとんがっているビルが紫色にライトアップされていて、ホテルに入ったときはまだ明るかったが出てきたときにはもう夜になっていた。その光景は綺麗ではあったけれど、それよりもそっちに行けばそのうち新宿に着くと思って歩き始めた。ずっとその道を歩いていくと大きな交差点に出て、片側三車線もあるような大きな道ではない方向に歩いていった。大きい道には大きい道のおもしろさがあって、道路のあいだに小さい中央分離帯がいくつも立っているのがおもしろかった。わたしはそれを写真に撮った。目で見ているようにはうまく写真は撮れなかった。横断歩道を渡りながら西城秀樹の歌う「My Eyes Adored You」の和訳カバー「瞳の面影」を聴いている。年末にiTunesで適当に音楽を流していたらフランキー・ヴァリの曲が流れてきて、いい曲だからなぜかYouTubeで検索したら藤井風のカバーと西城秀樹のが出てきて秀樹のを聴いている。西城秀樹が死んだとき、両親、とくに母親は泣いていた。葬式にも二人は行った。正面のところに郷ひろみ野口五郎新御三家の大きな写真が写し出されていたあの斎場だ、母は郷ひろみのファンだから、新御三家はもちろん見ているし、見ていたというか西城秀樹も青春の一部の人だった。父が泣いていた(本人は泣きそうになった、もし仕事中じゃなかったら泣いていた)のは志村けんが死んだときだった。あれでコロナへの見方が変わった。
 その道の先は国立競技場だったがその手前にいい雰囲気のカフェがあった。わたしはそのカフェではこの先が国立競技場につながっているとはわからずに入っていった。ちょうど高速道路なのか線路なのかわからないが高架下になっていて、その高架で国立競技場は隠されて見えなかった。そのうしろに国立競技場があった。わたしはカフェを出たあとその高架下をくぐってもう一度上がったその先に国立競技場があった。どこかいいところに入って、書くとか読むとかをしたかった。ホテルを出たあとすぐに小さなカフェがあった。そこはもうすでに満席で、カップルがたくさん入っていた。わたしはそれを眺めながら歩き過ぎた。カフェ入ったらお酒もありそうだった。白州のソーダ割りを注文する。ちゃんと炭酸が効いているハイボールが来る。もうそろそろ書き始めないと間に合わない「タイギゴ」を書き始める。六枚ぐらい書く。そのあとハントケ、電車で移動するからそのあいだに読めるからチャンス、と思って持ってきた