PINFU

毎日書く訓練

たこチャーハン

 一日中ふとんの中ですごした。GWの後半で、きのうは職場の同僚と、帰る途中に急に、
 カレーこのまま食べに行く?
 ちょうど、だったのか、よく覚えていない、今朝の天気予報では昼間は暑いが朝は冷える、と言っていた。部屋の中の体感温度と外に出たときの体感温度は、部屋の中にいるときはわからない。赤坂の外に立っている天気予報のお姉さんは、
「けっこう肌寒いですね。なのでこんな厚手のコートを着てきました」
 と言っていたそれを100パー信用して長袖のシャツを着ていった。きのうポロシャツを着ていったら室内もけっこう肌寒かったことも影響している。
 仕事がおわってたしか18時すぎくらいだったか、
 係長も呼ぶ?
 と、係長はそういえば離婚したな、それもけっこう前のことだけど、はじめて会ったときはYさんだったのが、離婚してHさんになった。
「きょうからHになったので」
 係長本人からそう直接言われたわけではなくて、ほかの人から、Hさんになったからね、と言われたような気がするし、誰かに言われるまでもなくなんとなく察したような気もするし、名前じゃなく「係長」と呼べたし、いちいちペーペーのわたしにまで報告したりしない。連絡したら係長も来てくれることになって、そのときにわたしは、きょう係長は帰ったら一人でご飯を食べる予定だったのかな、わたしもひとり暮らしだから一人で食べるんだけど、でもみんな一人で食べる予定の人たちだった。いちばん若い同僚は実家暮らしなので一人ではなかったかもしれないが、でも家族も仕事でみんな時間がバラバラだから、同じ屋根の下に住んではいるけれど毎日毎日同じ時間にご飯を一緒に食べるわけではない、と言っていて、それはどこの家庭もそうだと思う。もう一人の同僚は結婚して旦那さんがいるがきょうは遅くなるから仕事仲間とラーメン食べて帰るから、と言っていたらしく、
 きょう帰っても誰もいないからな~、どうしようかな
 最高じゃないですか
 とわたしが言った。
 う~ん、どっか食べに行っちゃうか、実家に行くか
 彼女にとっては「最高」だったのか。そのあとの会話でも、わたしは「最高じゃないですか」とまた別の話題で言っていた。
 実家は近くにあるらしい。
 そしたらこのままカレー食べに行く?
 その話の流れからカレーを食べに行くことになって、係長に電話したら来てくれることになった。
 夜6時くらいだ、そんな話を、係長呼んだら来るかな、とか、ほかに誰か呼ぼうよ、と話しているときわたしはYシャツ一枚でいた、いちばん若い同僚もYシャツ一枚だった、寒いよ、とわたしが言ったら、寒くないよ、とその人は言った。
 昼間はたしかに寒くなかったが朝晩は冷える。この時期は、大学生のときは困った。朝、自転車で駅に向かうまでは寒いからすこし厚着して行くけど、昼間構内にいるときは暑いから厚着が荷物になる。カバンもなんやかやパンパンだから荷物が鬱陶しくて、でも夜は寒いからそれを着て帰る。暑いのか寒いのかどっちかにしてほしい。
 この時期は毎年めんどくさいなぁ。
 駅に向かう川沿いの道を自転車で走りながら、昼休みに学食の前の券売機できつねうどんを買うためにカバンから財布を出そうとしながら、鬱陶しいなぁ、と思っていた。しかし今は車に乗って出勤してそのまま会社に入る。ドアトゥードアというやつで、
 体を動かしてないなぁ
 わたしは朝から散歩に出かけた。わりと早い時間なのに車通りが多いのはGWだからかもしない。最近はわりと早起きできるようになった。いいことだと思いつつ、眠りが浅いのかもしれない。明日は土曜日だから、アパートの二階の、たぶん男二人でルームシェアしてる人たちは四時ごろまで騒いでた。眠れないほどの騒ぎではない。
 カレー屋は駅前の小さい建物の二階にあった。一階は美容室だったらしいが、職場からその店に行くまでにその話をしていたのに、わたしは忘れて、一階が美容室だったことを確認しなかった。職場にはドアトゥードアで、車で出勤しているので駅には来ない。電車通勤していれば、いつか急に思い出すかもしれないが、思い出したとしても駅前にはほとんど行かず、車で直接出勤してしまうので一階が美容室であることを確認、そんなに確認したいわけでもないんだけど、思い出したから書いているだけで、どうでもいいちゃあどうでもいい。
 二階に上がる、店の匂いがしていた、カレーのにおいではなく「店の匂い」で、むかし、母親は看護師をしているという話は何度も小説にも書いたけど、看護学校に通っていたときからの親友にIちゃんという人がいて、Iちゃんの「I」は旧姓で、今はHなんだけどいまだにみんなIちゃんと呼んでいて、むかしIちゃん家族四人と、こちらの家族四人で、H亭という個人経営の居酒屋でよく飲んでいた。H亭は今も図書館に行くときに目の前を通るのでよく見るがとっくに潰れていて、今は建物だけが残っている。一軒家をお店にしたような居酒屋で、一階がカウンター、二階に個室が二部屋あって、一部屋はけっこう広い大広間、もう一部屋は八畳ぐらいの部屋だった。真ん中に長方形の卓があって、大人四人はそこで酒を飲みながら話をして、子供たちはゲームをしていた。親は「ゲームは一日一時間まで」がルールだった。子供たちは親の目を盗んでいかにゲームをするかを考えていた。でもその日は、Iちゃん家族と飲み会のときは、大人たちがゆっくり話ができるように無法地帯だった。いくらでもゲームができたので、いくらでもゲームをして、騒いで、部屋の座布団を集めてきて長方形の箱をつくってその中に入って、中から飛び出す遊びをした。大人たちは笑いながらそれを見て、また話に夢中になった。タクシーで帰り、そのまま眠った。
 翌朝は、いつも土曜日の夜に集まっていたから翌朝は日曜日だった。リビングに降りてくると親は起きていてTBSのサンデーモーニングを見ていた。その横で、きのうH亭からおみやげでもらったたこチャーハンを温めて食べた。今はもうH亭は潰れてしまったのでたこチャーハンは食べられない。いつも〆にたこチャーハンが出てきた。上にしそがのっていた。炊き込みではない。チャーハン。あのたこチャーハンが食べたい。
 場所も時間も変わってきのうのカレー屋である。階段をのぼるときH亭の匂いがした。それが懐かしかった。カレーはおいしかった。係長とわたしは瓶ビールを飲んだ。ジョッキではなく瓶ビールを飲んだ。お互いに注ぎ合いながら。
 わたしの息子娘がちょうど同じ年齢なんだよね、平成九年生まれと十三年、だから息子娘をおなじ年齢なんだよ。
 係長が母親と同じ年齢なのかはきいていない。女性に年齢を改まった聞くのはやめた方がいいことぐらいわたしも知っている。でも係長はわたしにとっては仕事では母親みたいな人で、それは係長にも言ったことはある。「母親代わりです」と言ったわけではない。直接そう言ったわけではないけれど、伝わってはいると思う。
 二時間ぐらい話をして、電車に乗って帰った。
 それできょうだ。きょうはきのう帰ってきたのが〇時前とかでそのまま寝た。夢は見なかった。
 六時にテレビが点いて、リモコンを触らないでいると二時間で消えるように設定しているので八時に消えて、その消えた瞬間は寝ていたので見ていない。こまかく何時にまた目が覚めて、何時に寝て、どうくり返していたのかはまったく覚えていない。起きたのは十九時前で、それまで、布団でぬくぬくしてるの気持ちいいなと思いながら寝ていたり起きたりしていた。この時間、スマホじゃなくて本でも読めばいいな、と思っていたが読まなかった。
 Nさんからの手紙の返信はGWが終わる来週の月曜日までに書こう、と先週決めた。このままだといつまでも書かない気がする。それは飽きたんじゃなくて、別のやり方で展開させたくなって、行き詰まっているといえば行き詰まっているのかもしれないけれど、新しいなにかが生まれそうな気がしている。もっと題材にしている小説の方に接近していくのか、自分のことやNさんのことに接近していくのか、あんまりそういう線引きをしない方がいいのか、コンビニに晩ご飯を買いに行く道中で、小島信夫の小説を集中的に読んで確実に変わっているのはわたしは小説を書きたくなっていて、書いているんだけど、小説を書きたい気持ちが強くなって小説以外の文章は認めない!(書きたくない!)みたいな気持ちになっていることにコンビニから帰ってくるときに気がついて、それは間違っているからリハビリとして書き始めたりしている。Nさんへの手紙は下書きはたくさん書いているが、また明日書いたときになにが出てくるのかわからない。それを良しとするのかボツにしてまた明日書き始めるのか。