PINFU

毎日書く訓練

万事快調(8)

2024/01/08
 つづきは書けなさそう、というか、いままでもつながっていた(つづきになっていたのか?)のかわからない、一日ためしてみたけれど書けそうになかったので、なんでもいいから、とにかく書くことにする。
 なんでもいいから書く、もう、急いで書く。考えている時間をあたえない。
 体調や、その日の気分で左右されているようではダメで、そういうのは知力でおさえてるんだよね
 知力?
 うん、そんなものいちいちかかずらっていたらなにも出てこないってことを知ってるんだよね
 書いたらええやん、
 また山下澄人の話か、と思われるかもしれないが、というかそんなことだれも思っていなくて、というかそこまで思うほどお前の文章を一生懸命だれも読んでいないよ? あなた(わたしのこと)は自分で毎日書いているからもちろん自分が何を書いていたかを知っているけれど、ほかの人はあなたほどあなたの文章を読んでいない。だからそんなこと思ってもいない。なのに、また山下澄人の話書いているよ、と思われるかもしれないと思い込んでいる、もしくはわたしにストッパーをかけてくるその正体こそが「わたし」で、
 お前が止めんなや!
 というのはまさにそういうことだ、
 お前が止めんなや!
 いいものが出てこようが、悪かろうが、そんなことはどうでもいいじゃん。
 ええものが出る日もあれば、カスが出る日もあるわけで、そんなことにいちいち惑わされていたらダメで、だって三割打てばいいバッターなんでしょ? 一〇分の七、カスやで?
 そのときに大事なのは、いくらでも出てきますってことを演出しておくこと。
 ケチなんて言われたことなかったやろ? お前ケチやな、って。ケチやねん。書くことにしても。書けないですねえとか言ってるやつはケチやねん。「書いてますか?」「書けないですね」って。書いたらええやん。「いや、書けないんですよ」じゃあ一生ケチでやっとけ。

 小島信夫『美濃』をひさしぶりに開く。「美濃(十一)」の途中でしおりが挟まっているが、そこからはいつも頓挫するので、もうそこは飛ばして「美濃(十二)」から読みはじめる。
 これはほんとうのことなのか、小説に対して「これは本当にあったことなのか、フィクションなのか」と考えることは無意味なんだけど、でも小島信夫の小説に関しては考えてしまうし、う~ん、これはネタバレとかってことになるのかな、えっ?ってことが主人公の古田信次におこる。いや、そんな大したことじゃない。しかもさいご、もう古田信次はいなくなる。古田信次は語り手じゃなくなる。そもそも、これを書いているのは古田信次なのか、小島信夫なのか、
 いや、実際に書いているのは「小島信夫」なんだけど、物語、というか小説の設定としては「古田信次」が書いていることになっているのか、小島信夫が古田信次を書いているのか、それはわからない。どっちも出てくる。「私は」と書き出したときの「私」は小島信夫のときもあるし、古田信次のときもある。こんなことはすでに語り尽くされたことだろうし、たぶんわたしにとっての問題はそこにはない。まだ問題は見つかってはいないんだけど、そのうちこのことについては書くときがくると思います。だいぶ長いこと先になると思うけれど、
 時間がかかるからって言って書かないようではダメだよ
 Iさんに去年そう言われたのがずうっと頭に残っている。いつか書くと思います。そのうち。