PINFU

毎日書く訓練

万事快調(4)

2024/01/04
 でかけたわたしは最近気づいたが電車の中にはわりと本を読んでいる人が多い。スマホ派は圧倒的多数なんだけど、その中にポツポツ、っとひと車両の中に三人か、多くて四人ぐらいいる。スマホと相対する形で本が語られるのはやだなと、現代芸術家の映像作品でスマホを見ている人々はずっと歩きながらスマホ見ているから自分がどこを歩いているのかわからない。彼らの先には崖があり、崖の向こうには陸地がつづいている。目の前は深い谷になっていて、そこに橋が一つかかっている。スマホから目を離して前を見ればそこに橋がかかっていることはわかるんだけど、スマホをずっと見ている人々はそれがわからないでスマホ見つづけたままどんどん谷に落ちていく。橋の先には何があるかというと花園が広がっていて、ブランコベンチに男が一人座って本を読んでいる、というオチなんだけど、そんなに本を読むことが大事なんだろうか。大事だとは思う。でも本を読まない人々をそんな悲惨な目に遭わせなくてもいいんじゃないか、べつに本を読む人だけが花園に行けるわけじゃない。逆に今の時代、本しか読まない、スマホをまったく見ないなんてそれはそれで偏っていないか? いや他人のことはどうでもいい。わたしはスマホも好きだ。スマホを見ている人が奈落に落ちるなんて、でもそういうことではなくて、スマホばっかり見ていて周りが見えなくなっている人、ということなんだと思う。ちょっと顔をあげれば橋に気がつく。でもその先にいる人が本を読んでいるっていうのはちょっと気に食わない。そんな対立を煽らなくてもいいのに、と思う。
 とはいえわたしも読書はしておらず、電車の中で読むと言っていた『殺風景風』を読んだのは帰りの電車でだった。
 前の日どこに行こうかと深夜三時くらいまでマッサージ屋を探しまくり、やっと決まって寝て、朝にメールで予約をした。夕方前に予約をしたのでまだ時間はあるから二度寝をして、起きたら予約確定のメールが入っていた。初めて行くところだったがとても良かった。まずシャワーから触り方がよかった。そしてだいたいはマッサージをしたあとに抜きがあるのだけれど、その人はマッサージの間からちょこちょこ触って、しっかりめに触って、途中意識が飛びそうになるほどで、帰ってきたらキンタマ袋が切れていた。あまりにも激しすぎたんだと思う。その瞬間はアドレナリンが出ていてまったく気がつかなかったけれど、ちょっとしたひっかき傷(切り傷)のようになっていた。さっき見たら白くかさぶたができていた。「かさぶた」の語源はなんなんだろう。ぶたはわかる。傷口にふたをするの「ふた」だろう。書いていないと思うけれど二〇二三年さいごはケイタと飲んだあとにぼったくりの性感マッサージに行ってそれが最後だったので「ひでーめにあった」と思わずツイートしてそれ以来昨日だった。また行きたいが行くたんびにかさぶたを作るのはどうかと思う