PINFU

毎日書く訓練

万事快調(5)

2024/01/05
 カサブタは治りかけているが治っているので、もう傷口は見えない、というか治っている、あっという間に治った、ついおとといだたしか、まだ二日しか経っていないのに治った、本当は治っていないのに治っていると思い込んでいるんじゃないか、もっと文学的な言葉を使えば「そういう幻想を見ているんじゃないか」いや治っている、しかし会話に「幻想」を持ち込まれたらなんとも言えない、幻想は見ている本人は幻想だとはわからない、現実だと思っている、この前聞いたおもしろい話は、幻覚は本当にそこに見えているらしい、だから目の前に誰かが立っていてその人に遮られて見えない向こう側は本当は目の前には誰も立っていないのに本当に遮られて見えない、だから向こうを見るときはその人を避けて見る、その遮られている部分はどう見えているのか、もちろん本人には遮られていて、本来は駅のホームに立っていれば横に走る線路や、その向こう側のホームに立っている人が見えるはずなのに、はずというかそっちが本当なのに、しかしその「本当」は本当に「本当」なのかとも思う、Twitterかインスタに、現実がフィクションならいいのに、と書いている人がいたが、さっき私はそれを読んだ、フィクションと現実の線引きはよくわからない、さっき、たとえば数時間前に見ていた職場の景色なんて頭の中で勝手に作ったものかもしれない、今は家に帰ってきているからためしようがない、それなら今見ている目の前のものは現実と言えるんじゃないか、でもそれだって、わたしの前にはリッツが置かれている、ここにこれを置いたのはわたしで、何日か前にビールのあてに買ってきて三つ小分けの袋があって、二つは昨日、一昨日で食べてあと一つ残っているけれど、もし演劇でセットとして置かれれば、それはここに置く。セット、としてそこに置く。これは俳優でも演出家でも誰でもいいんだけれど、「セット」としてそこに置く。目の前にあるリッツはセットなのかわからない、というより、「セットではない」とは言い切れない。「セット」でもいいじゃん、と思う。ここに無造作に置いてある、「セット」、でいいじゃん、と思う。
 現実といわれている世界はラカンのいう「現実界」にしかなくて、見ているものは全部フィクションなんだけど、だって目の前に置いてあるリッツがここに置いてあるとは言い切れないんだもん、って。だって幻覚は、本当に目の前にあるように見えるんだよ? それを本人は「幻想(幻覚)」だとは知覚できないんだよ? 目の前にあるものとして避けて向こう側を見るんだよ? そう考えると全然わからないわけで、とくに男がおもしろいのは、男は公衆トイレで小便をするときアサガオと呼ばれている(なんでアサガオっていうのかわからない)壁かけトイレに横並びに、みんな一斉にちんちんを出して小便をしている。これがいきなり目の前がトイレじゃなくなって職場のど真ん中になったら、職場のど真ん中でちんちんをズボンの社会の窓から出している人になる。急にそうなったらどうする? だってトイレにいる、と思っているそれが幻想かもしれないじゃん。
 フィクションだとか現実だとかって線引きができない。現実の方が偉いってことでもない。見ているすべてがフィクションというか、理解し納得できる形に歪められている。そこに創作が入っている。
 ずっと頭に残っているのはたしか二〇二三年の年明けだったと思う、青山で山下澄人の朗読会があり、そのときさいごに「質問ありますか?」と会場、といっても会議室で、全部で三十人ぐらいの人しかいなかった、そのときにわたしは体がたぶんピクン!と動いた、その日の朗読とは関係がない質問だったけれど、質問したいことがあったから体が動いたのか、質問したいって気持ちが一瞬バンっ!って外に出た、そしたら山下さんはそれを見つけて、というか出したつもりはないなんて言っているのはわたしだけで、わたし以外の人はみんなわかっていた。今日アップされていたラボの音声に絡めれば、「自分」は行こうとしているのに、待った! って止めに入ってくるのが「わたし」やねん。自分は質問したいって動きだしていたのにそれを「わたし」が止めた。
 止めんなや!
 でもその時は山下さんが見つけてくれた。
 なに、君、なにかあるんでしょ? 君だよ
 そのすこし前にツイートしてたことに関連した質問だった。
 今度出す予定だとツイッターに書いていた『FICTION』についてなんですけど、対談とかではまったく書き直しはしないと言っていたのに、この前ツイッターで、今度出すやつは大きく書き直しをしていて、ものによっては頭から新しく書き変えているものもあると書いていたんですけれど、それはどういう心境の変化なんですか?
 ちょっとやってみたい、と思ったんですよね。このあとどうなるかわからないけれど、この小説に関してはやってみたいと思ったんですよね。
 その場にいた豊崎さんは、
 いつ出版されるのか知りたいんじゃないですか
 と言った。わたしはべつに知りたくなかった。読者として出版を待っているのではなくて、今まで推敲しなかった(わたしもしたくなかった)山下澄人が今回に限って推敲をした、してみたくなったことを知りたかった。
 今年の夏ぐらいに出ると思います。
 夏には出ずに冬に出た。
 その日は寒空のなか歩きながら蛇口が全開になって小説を書いた、結婚式場の前を通り新郎新婦のオープンカーで式場を去るところだった。飲み屋から出てきた男一人、女二人の三人は小説のなかでそのあとラブホテルに行った