小島信夫「国立」を読む。
「ひたすらしんぼう強くつづけることしかありません」
(小島信夫「国立」『各務原・名古屋・国立』講談社文芸文庫、p.331)
「それまでトコトコとやってきていたのですが、身体の方がさあ行けというものですから、走り出したので、自然のことです」(同上、p.332)
暮にはきまって、八王子から陣馬高原へ行く途中の下恩方に住む染色家で、とくにねらい打ちをするつもりでいたのではないが、探し当てるのにちょっと骨が折れたので、四時間半というものは、そのうどん屋にこそ、というつもりに自然になっていたのです。(同上、p.334)
私ども夫婦は、その頃、まだ元気で、そんなこという資格はないのですが、まだまだ人生を甘く見ているというと、ぼくは満足です。(同上、p.334)
「お客さんどこからお出でになりましたか」
ぼくはそういう場合には、今ほどではないが、涙もろくなってくるのでこういうときに、どうして泣けてくるのか、よく分らないのです。
「それが東京からきたのです。七時に出発したのです」
それはたぶん、ほとんど意味のないことは承知していたがいいました。
「ラーメンならありますで」
「せっかくだが、ラーメンがいくらおいしくても、ぼくら夫婦はうどんを食べさせてもらいに来ているのです」
ぼくらは仕方がないので、主人夫婦と先客に頭を下げて外へ出た。(同上、pp.335-336)