PINFU

毎日書く訓練

万事快調(11)

2024/01/11
「私は小説を書こうとする。書き上がるかどうかどうでもいい。とにかくそれは小説を書こうとしている間の私の生活であり、私が見たり話したりする人たちであり、小説を書こうとしてる私の姿である。」
 なんどでも引用したい、心の中で唱えたいと思うけれど、ほんとうにいい言葉だ。
 また聖徳太子が現れた。この前ウザったい奴が現れた、と書いたその人だ。「聖徳太子」とは呼んではいないけれど、便宜上、この小説に登場させるにあたって名前があった方がいいから今思いついた「聖徳太子」ということにする。
 聖徳太子が何をした人なのか、
 前の一万円札の人
 笏をもっている人
 あごひげ
 七人だかの話を一気に聞ける人
 だからそれがどうした。
 何時代の人なのかもよくわかっていない。奈良時代? 飛鳥時代
 小学生のときは時代の順番を一生懸命おぼえて、友だちと間違えずに言えるかどうかの勝負をしたりもしていたが、今となっては順番はわからない。「一般常識」なのかもしれないけれど、普段使わないものを「一般常識」などと言って、そもそも、「一般人」なんて人種は存在しない。それは人間の頭の中にイメージ(幻想)としてあるものであって、身長、顔、声、生活、なんでもいいけど、とにかく人間を構成しているすべてのものが「一般的」な人間なんてどこにも存在しないのに、「一般人」などと言っていて、「一般常識」も、それはあなたにとっての常識でしょ? って話で、いつも常識のことを思いだすと高校のときを思いだしてしまって、後輩に、
「そんなの常識でしょ?」
 と言ってしまったけれど、後輩が初めて教わることに対して「なんでそんなこともわからないの? 常識でしょ?」なんてわたしが間違っていた。
聖徳太子」の話だ。うちの職場はそんなになんどもなんどもくるようなところでもない、毎日毎日くるようなところでもない、喫茶店ではない、なのに聖徳太子はまた来て、こいつうちのことどんだけ好きなんだよ、でもこっちは聖徳太子のことは嫌いだから、聖徳太子はメガネのエのところを口にくわえていた。頭がおかしい、こんど書く小説には口にメガネのエをくわえた人物を出す。
 ゴダールは、たしか小説のことを書いていたのか、いや、映画だったと思うけれど、わたしの小説にはそのときわたしが読んでいた本の一節をそのまま引用し、見た人物や出来事をそのまま映画に登場させている、と書いていた。それでいい。ゴダールの映画はまだ一本も観れていないが、ゴダールに習ってそうする。それでいい。
 聖徳太子は、
 なんて言ったかな、忘れちゃった。「印象いいね」みたいなことを言われた。死ね、と思った。前のときは、あなたは頭のいい人だろうから、今後出世して偉くなるだろうから、と言われて、これは嫌味だった。聖徳太子は自分がこの世でいちばん頭がいいと思っているに違いない。どうでもいい屁理屈を並べていたが、そんなものにすがって、それを伝家の宝刀のように振り回して、議論をふっかけて、論破する。もう考えてもどうしようもないような話だった。もっとマシなことにその優秀な頭脳をお使いになってください。わたしは小説を書きますから、あなたは……
 嫌味なのだ。だから純粋に「印象がいいね」と思ったのではなくて、前回に比べて今日は印象がいいね、ということで、前回の「わたし」を腐しているのだ。でも前回の「わたし」はもうここにはいないから、そんなこと言ってもしょうがないのにね。
 だれでもかれでも偉くなることが嬉しいことだと思ってくれるな。そんなこともわからないのか。わたしが「あなたは偉くなる」と言われてよろこぶとでも思ったのか、聖徳太子は少なくともその優秀な頭脳で考えたらそう思ったのだろうが、世界はもっと広い。公園にでも行って木でもながめてこい。すこしはバカがマシになるだろう。
 愚痴になったのでたのしいことを最後に書いておきますりんこだぷ~
 うんこ