PINFU

毎日書く訓練

ディオニソスの祭り(19)

2024/03/07
『菅野満子の手紙』を読んでいる。会話がどーかしてる。『残光』でもどーかしてる会話があって、もしこんな夫婦が電車のホームでとなりに並んだら、俺はちがう列にならぶ。
 Nさんは二人の、というより花畠での会話を読んで泣いた、と言っていて、書いている小島信夫自身も泣いて、それを書いていて、そこを読んだNさんも泣いた、とデニーズで言っていたのを聞いた。
 Twitterにも書いたが、連載三回目くらいからだんだん面白くなってきて、

(7日の日記のつづき)
 書くことはいつもないけれど書かないといけないと思うので、『菅野満子の手紙』は買った本じゃない。借りてきた本なので書き込みができない、からとりあえずいいと思ったところには写真を撮っている。
 小島信夫は内容以前に言葉遣いがおかしかったりする。小説に、突然書き手の状況を入れ込んだ人だ。文章のおかしさもそのままおもしろがらないと入っていけない。みたいなことをHが書いていた。
『残光』で少しずつ読んで、毎日書いていたときはそれは去年のたしか十月くらいに、インスタのストーリーで勝手に連載をしていたけど、内容ではなく言葉の使い方に引っかかって書いていたんだけど、途中から、なんかそれって表面のことしか言ってないような感じがして、ダメじゃないか、と思って書かなくなった。書かないで済むようになる言い訳がほしかっただけかもしれない。『残光』の44ページから49ページまで続く会話の場面。
 今日の日記を書くためにもう一度その会話の場面を読んでみたけれど、初めて読んだときは狂ってると感じたけれど、狂ってる感じはしなかった。こんな夫婦が駅のホームのとなりにいたらちょっと離れたい、とどっかに書いた。野本さんはここは涙が出る気持ちになりますか? そもそもわたしはあまり泣きません。涙もあんまり出ません。何かがあって泣く、映画でも本でもドラマでも実生活でも何でもいいんだけど、何かが起こって泣くということはあまりありません。
 地デジになってもう映らなくなってしまったけれど、実家のお風呂にテレビが、壁にはめ殺しになっているのがありました。テレビをつけるとずっと風呂から出てこないので、我が家ではテレビ禁止令が出て、それでも親の目を盗んでつけたりしていたけれど、すりガラス(本当はすりガラスではなくプラスチックです)の扉からテレビをつけると外に光が漏れているので、親が脱衣所から静かに覗きに来てテレビがついていると扉をダンダンダン!と叩きました。わたしは何もなかったかのようにテレビを消して、だれに見られるわけでもないのに平然とした顔をして、友だちのYくんは家族の前で全裸でいても平気だそうです。小学校の終わりから中学校は体が変化します。いちばん大きいのは毛が生えることだと思うけど、それを親に見せるというか、親の前で全裸でウロウロするとかありえない、淫毛についてはおもしろい話があるのですが、日記としてではなく、こんど小説として書きます。ちょっと自分の話として書くのは恥ずかしいので。
 話が脱線しますが、文章を書いてて「恥ずかしさ」はありますか? ぼくはだんだんそれがなくなってしまって、でもこの前、ポメラ(小さいノートパソコンみたいな形をした、文章入力だけしかできない機械です)を漁っていたら、昔書いた小説を読んで、これを書き直そうかなと読み返していたら、けっこう恥ずかしくて、ちょうど「恥ずかしさ」について考えていたところだったので、表現(「表現」なんて言葉を使ってるのも恥ずかしいですが)とか、人前でなにかをするってことはまず恥ずかしいことで、それを大切にしないといけないんじゃないか、恥ずかしさがなくなったらお終いなんじゃないか、でも俺は恥ずかしげもなくいろいろ書いていて、毎日書いたものを投稿することになんの抵抗もなくなったけれど、掘り出したら出てきた小説はちょっと恥ずかしくて、昨日書いた小説は恥ずかしくないのに、五年前に書いた小説が恥ずかしいのは、なんの違いなんだろう、とか、そういうことを考えていて、その「恥ずかしさ」の違いはなんなんだろう、と思います。
 話を戻します。土日は少年野球の練習があって、帰ると靴下の中に泥がいっぱい入っているので、帰ったらすぐ風呂に入りなさい、そのまま家に上がられると家中砂だらけになるから風呂に入って、と言われて脱衣所までべったり足をつけて歩く(普通に歩く)とその導線が砂まみれの足跡がつくから、かかと歩きか、玄関で靴下を脱いで、濡らしたタオルで足を軽く拭いてから脱衣所まで行って服を脱いで風呂に入り、そのときはちょうどTOKYOMXで「ウルトラマン」の再放送をやっていました。風呂の中でそれを見ていました。とくに印象深い回があったというわけではないのですが見ていて、本当は今は怪獣墓場、シーボーズの回が見たくて、『残光』にも死んだ人のことがたくさん出てきます。具体的なところはパッとは思いつきませんが、死んだ人の話がたくさん出てきます。前に小説にもすこし書いたことがあるのですが、そのとき少年野球で一緒に野球をやっていた友だちが今から四年後か五年くらい前に自殺したそうです。わたしはその人の話をもう少しちゃんと書いてみたいと思っています。
 そもそも政治家というのはあまり好きではありませんが、YouTube田中角栄が最後にしたスピーチが出てきて、その中でこれはその動画を見ながら書いています、
「これはもうちゃんとルートもみんな決まっているんです。群馬から北群馬を通って、今の軽井沢、それから佐久へ行って、佐久から上田、上田から長野、長野から飯山を通って、飯山から新潟県に入って、そして高田と、荒井のあいだから、脇野田からまっすぐトンネルに入るわけです。
 私はね、新潟県の方にもうすこし引っ張りたいんですけれども、そういうところは公平であります。
 長野県から富山まで290キロ。そして富山から高岡、金沢、敦賀、小浜を通って大阪まで300キロ。とちゅうなかから米原まで100キロ。これ今年中にも予算はついています。」
 なんだかわからないけれど、理由はこれかなと思うものが一つありますが、グッときたのは地名がポンポン出てくる、それがなんかいいなと、思いました。
 やっぱり手書きのほうがいい。手書きしてそれを音声入力して活字にしてブログにアップしていたんですが、それがひと段落落ち着いてからはスマホとかポメラに書いていたけれど、あんまりしっくりこなかったから書いていなかったんですが、こっちの方が断然いいので明日から手書きで書きます。『菅野満子の手紙』の続きをまた読む。