PINFU

毎日書く訓練

ディオニソスの祭り(8)

2024/02/24
 寒い、とにかく部屋が寒い、
 きのうはSoraBouさんというTwitterで相互フォローしている人と話をした。アーカイブが残っているので聞きたい人は聞いてもらったらいいんだけど、最終的に三時間話をしていたので長いから聞いていられないかもしれない、というかわたしはきのうの夜(夜中二時までやっていた)寝る前に、すげえいい話したな、それにSoraBouさんがすごいいい話してたな、もう一回ききたいな、と思って始まりから流してみたんですが、自分の声が暗いというか、なんか不機嫌? 自分としてはそんなつもりはまったくなくて、めっちゃたのしかったのに、なんかこいつテンション低いな、聞いてられへんわ、ってなって止めました。
 それで、そう今書いた話はこれから書く話の「枕」だったんだけど、とにかく部屋が寒くて、ずっとぶるぶる震えてはいないけれど、震えるように話をしていました。
 こんど引っ越すのは暖かい部屋がいい。
 なんでこんなに寒いのか、二年住んでいますがわかりません。
 Nさんに手紙を翌日(つまり今日)の早朝に送って、「よすぎる!」っと送ってくれたのをずっと眺めています。今朝送った手紙には書けなかったんだけど、Amazonで検索して文庫化されているいちばん有名そうなものを購入しました、というところがすごくいい。なんだろう、劇的な出会い方ではなくて、素朴に出会っているのがすごくいい。そのときには、もしかしたら自分にとってこの作家が重要な作家になるとは思っていなかったのかもしれない、というか、う~ん、また人生訓じみたことを書こうとしているからやめる。
 SoraBouさんもそんなようなことを言っていた。
「生活って即興だから」
 わたしはその話を聞きながら、自分の昼間の仕事のことを考えていた。保坂和志が小説的思考塾で、
「誰かに教えられたり、注意されたりすることは、結果から逆算されている。」
「でも小説はなにもないまま書くんだよね」
 職場で先輩に助言を求める。なんで先輩に助言を求めるのか。ちょうど年明けから一緒に働くようになったアルバイトの子がいる。その子に助言を求めてもいいじゃないか。
「これってどうしたらいいと思う」
「え? ぼくですか?」
「うん、Aの案件についてどういうプロセスでやった方がいいかな、と思って」
「いや、それは、ほかの人に聞いてもらった方がいいんじゃないですか? ぼくはわかんないですよ」
 わかんない、新入りの子にはわからない。だからわかる人に聞く。
「わかる人」その人は何がわかっているのか。結果がわかっている。工程がわかっている。しかもその工程でやるに当たってどういう注意点があるか、どこでみんな失敗しやすいか、わかっている。
 でもその人がいなくなって、だれもわかる人がいなくなったとしても、わからないなりになんとかする。わからないなりになんとかするしかない。わたしの部署にも長老のように長いことここにいる人がいる。Oさん、ということにする。わからないことがあればOさんに聞けば解決する。
「ここはこういうやり方でやったらいいよ」
「こういうふうにやって」
 でも、最終的に、お客さんが求めている形になればその工程はどうでもいいんじゃないか。なまじその人(Oさん)が「正解」を言ってしまうからそれ以外の方法が試せなくなっている。
 ないものねだりだとは思う。Oさんのことが嫌いなわけではない。尊敬している。でも、Oさんの決定が「正解」になってしまう。
 そのジレンマ? みたいなものはほかの人も感じているようで、ちょっと前にそんな話になったときも、
「わかんないうちにやっちゃえばいいよ」
 ってことになった。
 う~ん、なんかOさんを悪の権化みたいに書いてしまっていたら申し訳ないんだけどそういうことではないです。ただ、やり方はいろいろ探れるんじゃね? って話です。
 祖母の三回忌。お坊さんがお経をあげる。