PINFU

毎日書く訓練

万事快調(10)

2024/01/10
 表に出さないようにしていたけれどあの発言はやっぱり許せなかった。「私は差別とかしないよ」ってなんだよ。差別なんてわざとやるもんじゃない。これはすごく反省で、なんとなく雑談がいつも下ネタの方に行ってしまう、最初はそれが楽しかったし、みんな恐々言っていたからよかったんだけど、だんだん慣れてきて、いろんなことを言い出すようになってきた。それはある側面ではいいことなんだけれど、余計なことまで言うようになってしまって、それが結局セクシャリティーの話なんかになってしまって、完全に余計だった。わたしがし始めたわけではなかったけれど、そういう話が出やすい土壌を作ることに加担してしまったし、反省している。もうそういう話はしないようにと思っている。愚痴を書いてもしょうがないからもう書かないけれど許せなかった。
 父もタバコを吸っていたがわたしが生まれてすぐぐらいにやめた。子どもができたからやめたというわけではないように本人は言っていた。咳が出るようになったからやめた。わたしも去年までは吸っていたが、九月にコロナになった。その前からタバコを吸うたびに咳が出るようになっていた。コロナの後は吸おうと思えば吸えたけれど、また咳が出るのが嫌だったのでそのままやめた。たまにしか吸っていなかったからそれでもすぐやめられた。吸いたくなるときもあるけれど吸いたいのは一本だけで、一本するためにわたしはピースなので一箱六〇〇円出して一本するために買うのは六〇〇円はもったいないからやめた。
 当番で遅番があり今朝は時間があるのでゴダール映画史を読んでいた。きのう読んでいたところがよかった。

ひとはポケットに四フランしかもっていないときは、その四フランで食べてゆこうとします。失業者はみなそうだし、金持ちにしてもそうです。ロックフェラーは、自分がもっている四十億フランで自分にできることをするのです。それが現実というものです。ひとは自分にできることをするのであって、自分がしたいと思うことをするわけじゃないのです。あるいはまた、自分がもっている力をもとにして、自分がしたいと思うことをするのです。
ゴダールゴダール 映画史(全)』ちくま学芸文庫、p.58)

 さらにつづき。

自分の映画を一時間三十分の長さにおさめなければならないのなら、期き悲しみながら、《いや、俺は少しも短くしないぞ》と言って頑張るよりはむしろ、短くしなければならないという現実を——ほかから強制されたものとしてではなく——認めるべきなのです。それというのも、リズムというのは、ある制約と、ある一定の時間のなかでその制約を自分のものにしようとすることのなかから生まれるからです。リズムというのは、スタイルから⋯⋯制約とのぶつかりあいのなかでつくりあげられるスタイルから生まれるのです。牢獄からの脱出を考えても、そこにはさまざまのスタイルがあることがわかります。たとえばフィデル・カストロは、牢獄から脱出したあと、ある与えられた時間のなかで、ある一定のスタイルをもって⋯⋯ある一定のリズムとある一定の制約をもって、ハバナに上陸してのけました。彼は《バチスタは六万の兵士をもっていて、そいつらが俺を入江のなかで待ちかまえている。だから俺は、俺の命令に従う二十五万の兵士を獲得し、百五十年後に上陸することにする》などとは言わなかったのです。ひとつの制約があったわけです。そしてそうした制約こそが、スタイルとリズムをつくり出すのです。だからといって、制約に屈従することが必要だと言おうとしているわけじゃ少しもありません。必要なのは、反対に、自分に力と柔軟性をつけるということです。そしてリズムというのは、自分が柔軟性をもって活動できる場所から生まれるのです。(同上、pp.58-59)