PINFU

毎日書く訓練

万事快調(2)

2024/01/02
 ゴダール映画史を、さいごに新宿に行ったのは三十日だからそのときに買ってすこしずつ読み進めているけれどほんとうにすこしづつだ。べつに早く読めた方がいいとも思わないけれど、コレなんです、俺も文章書くとこうなるんだけど、いろんな例を出してくれるのはありがたいんだけど結局なにが言いたいのか分からなくなる。迂回、迂回、をすごくしていて、結論を早く言ってくれ(ゴダールにむかって何を言っているんだと思うけれど)なんか焦っているのかスピードが遅いような気がしてしまうんだけど、当たり前のことを書くがゴダールの方が上なわけで、
なにが上なんですか?
 うん、でもこの本には絶対、いいことが書いてあるから読みたいっていう姿勢だと何かを間違ってしまうけれど、でも自分にとっておもしろいものだからなんとか読みたい、しかしその「読む」っていうのは何をもって「読む」になるのか。言葉にすると間違うんだけど、でも「ちゃんと読む」「ちゃんと読まないといけない」っていうのは自分の《カン》のようなところで分かっているからちゃんと読めばいい。
 小説もどんどん書いたらいいのです。また毎日五枚書く生活に戻したらいい。そうすればいつか書ける。なんでもいいから書けばいい。この前、山本浩貴がアップしていた自身が二〇一七年に書いた小説がおもしろかったからつづきが読みたい。ペーター・ハントケの書き方も、ハントケは自分(おそらく自分)の母親が死んだそれを小説に書きたいと言って小説を書き始めたが、実際に、さっきカッコ書きで、おそらく自分、と書いたが、本当にペーター・ハントケの母親が自殺したのか、わたしはそのへんの、ペーター・ハントケの人生(経歴)、前情報をまったく知らないので、それも創作・フィクションなのか、本当なのか分からない。どうやらほんとうらしい、そこのウィキペディアや、訳者のあとがきを読んでそこんところはどうなのか調べてみようかと思って思い直す、「ほんとだったとしてそれがなんなんだ?」おそらく本当なんだろう、ペーター・ハントケの母親はおそらく本当に自殺したんだろう、そしてそれをもとにペーター・ハントケはこの小説を書いたんだろう、ここに書かれていることは「本当」なんだろう、しかしそれを調べたところで何になるのか。「そんなことはどうでもいいじゃないか」というより「それを調べてどうするんですか?」という気持ちになったから調べなかった。
 小説というのはよくわからない。これを書いたらいいっていうのもあるし、これを書いたらいけないってのもないんだろうけれど、これは書いちゃいけない、どう書いちゃいけないのか、なんで書いちゃいけないのかその理由はよく分からない、でも書こうとして(あるいは数単語書いて)ぴたっと手が止まる。で消す。なにが抑圧しているのか分からない。自分なのか、自分ではないものなのか。抑圧をできるだけハズすことはできるのか、それも分からない。ハズしてどうしたいのか。やっている側が抑圧されているのはもちろんなんだけど、見てる側にも「こういうふうに人間を見てはいけません」って抑圧がかかるんだよね、それは同じ時代を生きているってことがものすごく深くかかわっていて、――そのわたしの手を止めている抑圧は、だれがかけている、どんどん社会と自分の境界があいまいになってきて、それは良いことなんですか? トウゴウシッチョウショウなんて「社会」に呼ばれているものなんじゃないですか? ――集計用紙に小説を書いている小説家(名前は忘れた)のマネをして書いているが、紙がいい感じに引っかかって書きやすい、今日は君に決めた! こういうことをずっと書いている。それがどんどん抑圧をハズしていくってことになるのか? 分からない。なんでもかんでも書きゃあいいってことでもない。でもなんでもかんでも書きゃあいいとも思っている。抑圧とかそんなムズかしい言葉じゃなくて、「書いていくしかないんだよ」なんだか分かんないけど書いていくしかないんだけど、こんなものをずっと書いてていいのか分かんない。これに意味があるんですか? 意味というより、ちゃんとわたしはいい小説が書けるようになるんでしょうか? あなたの思ういい小説ってなんなんですか? いや、なんども擦られてたような質問で大変申し訳ないんですが、あなたの思ういい小説ってなんなんですか? それはいずれあなたが書けるようになるもので、あなたはそれを書きたいんですか? 書きたいです、いま思っているいい小説と、いい小説が書けたときに思っているいい小説はべつのものだと思います。もしわたしがいま思っているいい小説があったとして五年後にもしそれとまったく違わない小説を書けたとしても、五年後のわたしはそれを「いい小説だ」とは思わないです。言葉で言うのはカンタンですが、そういう理想とか想像を超えたものでないといい小説にはならない、だから「いい小説」というのを定義することはあるかもしれないけれど、それは目指してもダメで、最終的には壊すものでないといけない……ほんと、口で言うだけならカンタンですね。べつにそんな能書きをタレたいわけではなくて小説を書きたいんです