PINFU

毎日書く訓練

2023/11/01
『残光』の連載をまったく書いていない。『残光』を読んでもいない。おもしろくないわけでもない。たぶんこの日記ももしかしたら本にするから、1,200字書くようにしているけれど、あんまり長いと本にするときに面倒くさいから短く書く。いま編集している日記もちょうど、長い日記読み返すのめんどくさすぎて短く書いていたときだった。
 さっきブンガクファイトクラブの二次審査通過者の名前が出ていて、野本さんの名前をさがしたがなかった。一次審査のところにあった。こんど読ませてもらおう。というかたぶんどこかにアップされるとは思うけど、まだタイトルしかわからないけどいいタイトルだった。
 毎日仕事の日は家の前の自販機で水を買う。きょうも買ったら取り出し口のところに、前の人が買って忘れていったウェルチが残っていたので、いいのかな、と思いつつ頂戴した。

 

2023/11/02

 日記は正直飽きていて、きょうも書かなくていいかな、と思ったけれど書くことにしたのは、飽きたからこそ書かなきゃいけないからで、飽きてからが本番、たのしいうちに書いててもしょうがない、いや、しょうがなくはないけれど、たのしいとかに書いてるのは飽きるときにむかって書いている。飽きたら書く、飽きたら書く。飽きてからが本番。さっきっからiPhoneの変換がトンチンカンなことをやってる。「飽きてから」と書くために「あきてから」とちゃんと入力しているのに「秋田から」とでてくる。秋田に親戚はいない。いるのかもしれない。でもしらない。そんなことはどうでもいい。野本さんの「合掌」をさっきちゃんと読んだ。途中「相田」(「あいだ」と打ったのにまた「秋田」と変換された。消してまた打ち直す)がでてきたときなんか既視感があって、

「あれ? 俺も自分の小説に「相田」って人を登場させたような気がする」

 って思ったんだけど、たぶん俺の小説じゃなくて、野本さんの「タートル・トーク」だったと思う。(目が覚めて確認したら「タートル・トーク」に相田という人は出ていなかった)

 連作か? いいね。

 ちょうど(「合掌」という小説は主人公が祖父の葬式に出るために祖父母の家に来ている)わたしも祖父母が亡くなってそのことを日記に書いたし、小説にも書いて、ちょうどいまそのへんの文章を本にするために読み返しているので、自分の話と野本さんの話がごっちゃになって面白い。

 伊集院光糸井重里トークYouTubeにあり、糸井が、

「ぼくも野球けっこう好きなんですけど、まったく覚えてないんですよ。それで、よくマニアの人が話してる、あの1980年のナントカって試合のあの場面で、ピッチャーが外角低めに投げて、なんであの場面であの球を投げるんだ!って話を事細かにしてて、それはかっこいいんだけど、どーでもいいじゃんって思うんだよね」

 それと、

「感動したらなにか気の利いた感想を言わなきゃいけないと思ってる人はかわいそう」

 って話と、っていうか、2人の話を聞きながら、これは小島信夫だな、と思ってた。小島信夫を最近読んでるからだとは思うけど、「どこにも分類されない話」とか「推敲もされずにそのまま世に出される文章」とかそういう話をしてて、それはもう完全に小島信夫だから読んでほしい。伊集院光がラジオに送られてきた80歳のお爺さんのハガキの話をしてるんだけど、それもまさに「小島信夫」だった。