PINFU

毎日書く訓練

2023/12/24

 きのうの小説的思考塾、そのまえにマッサージに行きたくなって急いで準備、わたしは都心から離れたところに住んでいるのですぐ駆けつけるというわけにはいかない、もともと乗ろうと思っていたバスの一本あとのバスに乗って、もともと乗ろうと思っていた電車には乗れないな、遅れる連絡をしないと、と思っていたら滑り込みで乗れた。いつもこういうことが起こる。だからといってギリギリまで準備しなくてもいいや、ちょっとそういう気持ちがあるのかもしれないけれど、でもダメだと思ったらギリギリ間に合った、間に合えばこっちのもんだ、
「きょう雨の予報だったけどね、入りと帰るときに降られなかったらこっちのもんだよ」
 永ちゃんも言ってました、スマホのクリアケースの中に「E・YAZAWA」のステッカーを入れている人、髪型をオールバックにしている、オールバックにはわたしは『相棒』で水谷豊ファンだから昔からちょっとあこがれはあるけれど、今の髪型というかずっとオールバック用の髪型にしたことはないから、たぶんオールバックにはオールバック用の髪型がある、じゃないとあんなにきれいにオールバックにならない、いまのわたしの髪型でやろうといても、毛の生え方の問題もあるけれどセンター分けになってしまう。
 マッサージが十六時に終わっていそいで電車へ、なんとか十分前に到着、十四時にチケットの申し込みをして支払ったばかりなのでリストにはわたしの名前は載っていなくて、でも決済の済んだ(決済の済んだ、って意味が重複してる? 頭痛が痛いみたいな)メールを見せたら入れてくれた。

 

 チンパンジーの知性は森の中で遊び回れることであって、人間の言葉と操ったり覚えたりすることではない。保坂さんは最近インコの動画をインスタで観ている。「お前こんなこともできるのか!」という驚きがある。もちろんその驚きは人間と同じ言葉が話せるとかではなく、シンクの中で蛇口から落ちてくる水をお腹に当ててはしゃぐのをずっとやっているようなこと。
 無知・未知が遊びをおもしろくさせる。
 幼児教育で大事なのは十歳まではとにかく遊ばせまくること。幼稚園のうちから英会話やったり、あんなのどんどん自殺する人をふやすようなもの。
 歴史修正主義の話から、歴史的に○○(若者、環境、知性、戦争、○○の中に入るのはなんでもいい)はどうだったのかを検証しないことは、個人の持っている過去までないがしろにされる雰囲気を醸成することではないか?
 六十代「俺たちが若いときはもっとノンキだったよね」←これも検証しないといけない。
 いちばん大事なことは「自然がすべての答えをくれる」
 人間側のぐちゃぐちゃ(新しい猫を飼うのはこの前死んだ猫に申し訳ないんじゃないか)は、子猫(自然)を見ていれば解決する。猫が解決してくれる。そんなことはどうでもいいぐらいかわいいから。
 宿業があなたに人を殺させないのであって、あなたの意志で人を殺さないのではない。
『失われたときを求めて』のラスト間際の敷石につまづくところは、いちばん過去が吹き出すところ。
 積み上がった過去の上に生きているのが人間。言語哲学者がやる言葉遊びで相手を論破してもしょうがない。過去・時間・人間etc.それらを考えることがいちばん大事。
 記憶・過去・歴史の厚みを問題にしないといけない。
 生きることが過去とか記憶を処理すること。

 

 十月の保坂ゼミで言われていたことを今書こうとしたけれど忘れた。記憶の話だったような気がする。

 メモを見て思い出した。
 今、きのうの小説的思考塾のメモを箇条書きで書いたけれどさいごの「生きることが過去とか記憶を処理すること。」はその前の行といっしょにするか改行するかを一瞬迷って、改行した。
 保坂ゼミででてきていたのは、作品を加工する(そのときは色彩などを加工された写真の話だった)ことは「こういう感想を持ってください」「こういう風に観賞してください」と誘導していることで、佐内正史の写真にはそれがない。
 どーでもいいっちゃどうでもいいけど、今改行したときに、「生きることが過去とか記憶を処理すること。」って、短いキャッチーな言葉だから余計に、なにか、バスッと言い切った感じを出したい自分の意図みたいなものを感じた。意図がまったくダメってことはないんだけど。