PINFU

毎日書く訓練

2023/12/23

 二十四日の日記を書いたあとに二十三日の日記を書く。
 小説的思考塾の話は明日の日記にたくさん書いたからここでは古谷利裕さんの話を。
 はてなブログで日記を書いている人で、肩書きはInstagramは画家、評論家となっている。
 はてなブログの日記は購読中で(読者になる、というボタンを押せば更新されると通知がくる)、たまにながめるだけ、ちゃんとは読んでいなかったんだけど、小説的思考塾のあとの忘年会のときにすこしお話しすることができた。
 明日の日記にも書いたけど、保坂さんが言っていた「歴史を検証しないといけない」「歴史的に若者がどうだったのか」それは最近ものすごく考えていることで、保坂和志は「俺たちが若いときはもっとノンキだったよね」って言っているけれど、そのときはそのときなりの苦労があったはずで、なにか、世代間の分断を、今の若者が「あんたたちの時代は良かったんだよ」と、検証なしに、キャッチコピーのように、ステレオタイプに言うことって、分断を生むような気がして、だから検証したいと考えていた。
 それで言うと古谷さんは来年近代絵画についての講座をひらく。参加しようと思っているけれど、その宣伝の中で、
「このまえマティス展があってグッズとかすごく売れているけれど、なにかそういう大きな芸術家の名前だけが先行して、その作家の中身についてはまったく検証されていない気がする。」
マティスをはじめて見た人の言葉もたくさんあるし、もっと専門的な、大学とかに行けば芸術家を深く研究しているところはたくさんあるけれど、その中間の、鑑賞者から二歩三歩踏み込んだ言葉で語られているものがまったくない。」
 まさにこのことなのかもしれない。検証されていない。検証していないのに、ネット記事の見出しみたいなもので、ああいう言葉ばっかり先行して、それがどんどん膨らんでいく。まったく検証されていない。
 古谷さんの若いときはどうだったんですか? という話をした。単純にノンキだったというわけではなかった。そのときにはそのときなりの苦労はもちろんあった。
 わたしは小学校の卒業式の話をした。わたしの小学校では一人ずつ卒業証書をもらう前にスタンドマイクの前に立って将来の夢を言う。夢のある人は、
「将来はプロのサッカー選手になりたいです」
 とか小学生らしいことを言うんだけど、夢がなかった人はどうしていたかというと、
「私はまだ将来の夢は決まっていませんが、社会の役に立つ人間になりたいです」
 と言っていた。当時はそれをまったく不思議に思っていなかったんだけど、いま考えると、小学生の時点で「社会の役に立つ人間になりたいです」って言っていることが気持ち悪くなった。
 明日の日記にも書いているけれど、まさに幼稚園のうちから英会話教室通わせるなんて、将来自殺する人間をふやしているようなものだ、ってのと同じで、しかもこれは先生がそういう言わせていたのではなく、自発的に、小学六年生が自発的に「将来社会の役に立つ人間になりたいです」と言っていた。
 そもそも「社会の役に立つ」ってなんだよ。なんでそんなことが「将来の夢」になるんだよ。古谷さんにそれを訊いたら、
「ぼくたちのときにはそういう雰囲気(自発的に「社会の役に立ちたい」と言ってしまう雰囲気)はなかった」
 と言っていた。
 こういう雰囲気はものすごく気持ち悪い。歴史をきちんと検証しないことは個人の過去もないがしろにされる雰囲気を醸成していることになるんじゃないか、って話があったけれど、まさにそういう感じ。
 ほかにも「二十四年間も日記書いてて飽きたりすることはなかったですか?」とか「なんでそんなに書けたんですか?」って質問したけれど、質問しながらこんなこと訊くのは野暮というか、そんなことを質問してもしょうがないな、で、あんまりにもしょうがないなって思ったから、
「こんな質問してもしょうがないですよね」
 と照れで言ってしまった。もうちょっとまともな質問がしたかった。
 池松舞さんにもお会いする。「あっ、安堂!」と名前を覚えてくれていて嬉しい。山下澄人『FICTION』の話をする。
「あれヤバいよね」
「あれヤバいです」
「ヤバくて、感想書きたいんだけど、ね?」
「書けないです、難しいです」
「難しいよね」
 以前noteにアップした保坂和志山下澄人の対談の文字起こしも、
「あんな文字起こしするなんて安堂はどーかしてる」
 と言ってくれて嬉しい。でも「ぼくってどーかしてるでしょ!」と言いたくてしてたわけじゃない。坂口恭平が「あれは文字起こしした方がいい」と言っていて、なら俺がやるしかない、と思った。
 小説的思考塾では、日本の伝統的なスタイルは関心が自分の方に向かって行ってしまって、外とか世界に向いていかない、という話があって、これは池松さんと、このまえ保坂ゼミでお見かけしてでも知らなくて、あとでTwitterで「保坂ゼミ行ってきました。たのしかった」とツイートしているRock'n'文学さんにご挨拶させていただいて、お二人に、
「しょうじき、今の自分は関心が自分にしかない。さっき保坂さんは関心が世界に向かっていかないとって話をしていたけれど、理屈はわかるけれど、どうしても矢印が自分に向かってしまう。どうしたらいいですかね」
 という話をしたら、池松さんは、
「安堂ね、それはね、もう書くしかないんだよ。私の尊敬する作家はみんなそう言ってる。だからたぶん本当なんだよ。
 私もパン!って抜けた瞬間は覚えてて、ベンチ座っているときに急に来たんだよね」
「書いてるときじゃないんですか」
「書いてるときじゃない。急に。
 だからなんの前触れもなく急にくるかもしれないし、書くのを積み上げたときにくるかもしれない。来ないかもしれないしわからないんだけど、でも書くしかないんだよ」
『FICTION』については俺は、感想を書くのはむずかしいから「小説を書きます」と約束。「時間がかかりますね」と言うと、
「時間がかかるからってやめるような男ならダメだよ」
 と怒られる。嬉しい。
 新しい出会いもあり、瀧本さんという方とお話をする。転職の話、自分もアプリを作って、なにか表現をしてみたい、と言っていた。
 野本さんはいらっしゃらなかった。また来年もよろしくお願いします。たぶん読んでるから。