PINFU

毎日書く訓練

2023/12/16

 なんとか起きて職場に行く、仕事ではない、業者の立ち会いで職場に行く。
 さっき、コメダに向かう道中で、今朝ドラで笠置シヅ子の話をしているけれど、あれも実際にあった話だ。名前は変わっているけれど歌っている曲はじっさいに笠置シヅ子が歌っていたものだ。
 前置きが長いな、飽きてきた。
 なんの話かというと、朝ドラは脚色がつよいからまったく実際の話ではないけれど、やっていることは日記と一緒で、
 思いついたときは興奮していたのに、こうして書いていくとその興奮から離れていく
 「興奮」? 「興奮から離れていく」?
 あなたがしたかったのは「興奮」なの?
『暇と退屈の哲学』にそんなことが書いてあった。人は「興奮」を求めていて、「興奮」さえできればいい、だから内容はなんでもいい、ただ、昨日と今日が違う一日になるように、違う一日になればいい、これは違う話だったかな?
 よく覚えてない。ちょうど、去年の一月から三月ぐらいに読んでいた本だ。もう二年になる。覚えてない。ほんのちょっとは覚えてる。だからこうしてでてくる。
 けっきょく、小説と日記って何が違うの?ってことになるというか、それは小説と日記の違いがわからなくて「何が違うの?」と言っているわけではなくて、違うことはわかっているんだけど、その違いを埋めたいというか、とにかく、日記を書くように小説を書きたい、みんな小説家は、
「小説書くのたいへんですよ」
 と言う。ほんとうなんだとは思うけれど、それを日記を書くように書けたらラクになるのか。
 そもそも、今小説家になっている人たちはみんな小説が好きで自発的に書き始めた人だから、つまり、みんなは小説を「読む」のが好きで、「書く」のが好きなわけではない。だから、
「小説書くのたいへんですよ」
 と言う。俺は「読む」の方がシンドイ。「書く」のはいくらでもできるって言ったら言い過ぎだけど、でもたいへんはたいへんだけど楽しい。「小説書くのたいへんですよ」と口にするほどの大変さではない。
 だから山下澄人はすごい。小説を好きじゃなかった人が書いた小説だからおもしろい。二日かけて『FICTHION』の冒頭の「象使い」を読んだ。さいごの、
「明日死ぬとしてもまだ五十年ある。」
 これはすごいいい言葉だと思った。
 これは日記ではない。小説のつもりで書いている。毎日小説を書く訓練だ。というか、小説だ。坂口恭平みたいだ。保坂山下の対談の文字起こしもあともう一個のこっている。