PINFU

毎日書く訓練

2023/11/17

 きのうはみんな休んだ、わたしは仕事した。わたしもたまにズル休みはする。ズル休みというか、具合がわるい、でも「これは休んでいい具合のわるさなのかどうなのか」がわからない、ほかの人はもっと具合がわるいのに来ているんじゃないか、ジジイになるともっとずっとどっかが具合がわるいらしい。でもわたしにはまだわからない。もうすぐ27歳はもう初老に爪先ぐらいは入り始めているのか。

 マスクを忘れたのでコンビニに寄り、せっかくだからいつも買わないやつを買う。

朝礼の話

 

2023/11/19
 ↑おとといの日記だったのか、もっと昔の日記だったような気がして、さいごに書いてからずいぶん時間が経ったような気がしていたけれど、二日しか経っていなかった。
 ネガティブなものはどんどん盛り土されていて、だから「日記書いてない」って気持ちももう何日間も書いていないような気持ちになっていたけれど、きのう書いていないだけだった。
 きょうも日記に飽きている。というかそんなこと日記に向かって言ってはいけないことはわかっているんだけど、でも飽きている。もう、ほんとうならこれ以上書きたくないけれど、でも飽きた状態で日記を書きたいとも思っていて、それは横尾忠則の日記に、
「絵に飽きた状態で絵を描きたい」
 と書いてあったからで、きのうかおととい、本屋で横尾忠則の本を買った。新書が二冊でていたが集英社新書の『死後を生きる生き方』という本だけ。それはきょう外に持ってきたような気がするけれど読んでいない。いちばんはじめのところに、
「半分ファンタジーのような気持ちで読んでください。そういう気持ちで読まないと4ページぐらいで飽きてしまうかもしれません。でもそういう人にこそ読んでほしいです。」
 と書いてあった。まさにわたしは4ページ目で飽きた。ここで「わたし」って書かなくてもよかった。主語をできるだけ使わないように書いている。でもいちいち読み返したりもしていないから、一応日記は公に公開しているけれど、ここは、noteのアカウントはいろんな人に広く知られている(広くと言ってもべつにめっちゃ広くはないけれど。もういちいちめんどくさいな。「社会くん」が「広いって言ってもべつにそんな広くないじゃん」と言ってくる)けれど、ここは三人にしか教えていないので、ほとんど推敲もしていないし、読み返しすらしていないし、今までは書いたら一晩おいて、翌日に投稿していたけれど、今はその日にそのまま投稿しているので、いちいち読み返してもいないから、「わたし」がどうとかそういうことはまったく考えていないけれど、でもなんとなく書いているときにはそういうことを考えていたりしているけれど、考えていない、ってまた文章が空中分解しそうになってくるのは、なんだろう、前は毎日手書きで原稿を書いていたから、そのときにはほんとうに(この「ほんとうに」って言い回しは好きではないんだけど使ってしまう)空中分解しそうになって、それは頭に乳酸が溜まってくるような感じで、一回、これ以上言ったら気が狂うな、って思ったこともあった。これ以上、空中分解しそうな状態で文章書き続けたら気が狂うな、って。でもそこまでいく勇気はなかったし、どうなんだろう、言葉では「キ○ガイじみた文章を書きたい」とは思っているけれど、ほんとうにキ○ガイになりたいわけではなくて、あくまでも「キ○ガイじみた」ってことなのかもしれない。それがどういう状態なのか。でも奈落に落っこちちゃったら、本当に落っこちちゃうわけだから、落っこちたくはないので、落っこちないように気をつけながらそのギリギリのところを綱渡りするのかもしれないけれど、「わたし、危ないとこ綱渡りしてまっせ~」って顔で綱渡りしたくなくて、これはタモリも言っていたことだけど、「まったくなんでもないって顔をしたまま異常なことをしたい」。タモリは紙袋にSM孃のもってるみたいなムチを持っていて、酔っぱらうと、まるでなんでもありませんって顔で全裸になってそのムチを振るらしい。わたしはもちろん見たことはない。でも、まるでなんでもないって顔でできるだけ異常なことをしたい。
 このまえ行った大阪で道頓堀にも行ったけれど、阪神優勝で道頓堀に飛びこむよりも、いままったく誰も見ていない状況でいきなり川に飛びこんだ方がおもしろいなと思ったけれど、そんなことをしたら社会的に死ぬのでしなかった。なにもないときに道頓堀に飛びこんだ方が異常性が増す。そしてそれはだれにも見られなくていい。