2024/02/26
神様にいじめられているような感じがした日だった。Mさんは五日も前の日記を平気で書く。日記祭で会ったときにビール飲みながらお話しして、Mさんは今年に入ってから自分でホームページを作って、それまではnoteに日記を書いていたけれど、時間が前後するがおとといだかのあづきさんとスペースしたときに輪に入ってくれて、
「この記事が多く読まれていますとか、記事に対していいねするとか、そういうのが嫌になって自分でホームページ作るようになった」
と話していて、それでいうとはてなブログなんか広告たくさんあって、noteから移ってきたときにはかなりそれがうっとおしかった(今は慣れてしまった。あんまりいいことではないのかもしれない)からはてなブログなんかもっと書きづらいだろうな、と思ったけど、それで日記祭で会ったときに、Mさんは三日分とか四日分の日記を一気にアップするから、
「これは書き溜めておいて溜まったところで公開するって感じなんですか?」
と聞いたら、
「そうじゃなくて、書いてないんですよ。毎日書いてなくて、三日ぐらい経つとヤバいそろそろ書かなきゃってなってきてそれで思いだしながらやっとのことで書いて、それでアップしてます」
「じゃああれ一気に書いてるってことですか?」
「そうです、一気に書いてます」
「そんなに覚えてられるんですか?」
「ぜんぜん覚えてないんすよ笑」
笑い事じゃない。日記の書き方って人それぞれでほんとおもしろいな、と思うけれど、俺は「四日前の日記書いてください」って言われても四日前なんて覚えてないから、よほどなにかイベントだったら覚えているかもしれないけど、覚えてないというよりその日の手触りがもうないから書く手がかりがない。だから忘れないうちに、もう二日経ったら覚えてないので遅くとも翌日には書かないと間に合わない。でもMさんは四日前の日記も平気で書く。もしかした本人としたら四日後に書くよりその日のうちに書いた方がもっと詳しく書けるのにな、って思っているのかもしれないけれど、でもたぶん、その思いが強烈にあったらなにがなんでもその日に書くだろうから、そこまで「今日中に書かなきゃ」って気持ちはないんじゃないか。だから四日後でもある程度、自分の中にあるクオリティーを保てるというか、クリアできる。
他人の俺が読んでも、ちゃんと(ちゃんと、なんて言うのは失礼だけど)、四日後に書いた日記だとは思えない。その日の感じが出ている。
Mさんの日記の中で小鳥書房文学賞の話がでていた。三日の日記を四〇〇〇字以内でという応募規則で、二日で越えちゃうよ、と思ったが、ぜんぜんそんなことなかったので送ることにしたいが、八〇〇~五〇〇字くらいオーバーしてしまう。
ディオニソスの祭り(9)
2024/02/25
お坊さんの話をもうすこしする。
三回忌なのでそんなに長くはない、二十分ぐらいのお経をあげてくれる。そのあいだ、たぶん七十代のお坊さんは直立のまま、お経をあげ続けている。
「おじいさんが、寒空の中、まっすぐ立って、二十分声出しつづけるって、ヤバくないですか?」
わたしが言った。
「お坊さんだからやりますよ笑」
「いやそうなんですけど、でも生身の七十代のおじいさんがそれやってるのって、冷静に考えたらすごいなって」
あづきさんとスペースをした。前に、あづきさんが日記について話したいとスペースを開いて、もともとおづきさんとはお話ししたかった、どういう経緯でフォローするようになったのかは忘れてしまったけれど、お話ししたかったのでそのときはじめて話して、きのうが二回目だった。
三月のイベントに向けていろいろ進めているけれど、なんとなく一緒にやっている人たちと見ている方向が違うような気がして、しんどい。それは違うんじゃない?と思う。でも「違うんじゃない?」って思うのも、今しんどいから、間違って出された結論(意見)のような気もする。
おとといのSoraBouさんもそうだけど、二人とも「そもそも」から考え始める。あづきさんは今度イベントをするために場所を借りるけれど、ここはほかの誰かの所有物で、そこにお金を払って借りていて、なのに「ここは俺たちの場所」という顔をしている。俺たちの場所ではなく、所有者に金を払って借りている。
というかそもそもこの土地にはこんな建物建っていなかった。あるときだれかが、
「ここに建てよう」
と決めてここに建った。じゃあこの土地はその人の物か、というとそうではない。でっかく言えばここは地球の物だ。そういったことを踏まえて自分たちはここを借りてイベントをするのに、その気持ちが希薄すぎるんじゃないか。だってここに来る人たち、なんでここに来ているのか。私は関西に住んでいるからそのイベントは関西でやる。住んでいるから、というか、関西でやるから私も参加できる。でも関西だからわたしは行けない。行こうと思えば行ける。でもなかなか行けない。金もかかる。
反対にあづきさんは新宿のフヅクエに行ってみたい、と言っていた。行こうと思えば行ける。でもなかなか行けない。金もかかる。でも反対にわたしは東京に住んでいるからきょう行ける。行かないけど、きょう行こうと思えばきょう行ける。その違いがある。
イベントに参加している人たちも行ける人と行けなかった人の集合体で、イベントには行ける人が参加している。つまりその段階で選別されている。機会が平等にない。そこから考えないとダメなんじゃないか、とたぶんあづきさんは言っていて、SoraBouさんも、以前は演劇のお手伝いをしていたみたいだけど、
「そもそも劇場ってさ、」
ってところから考え始めないと落ちつかない。どんな話をしていたかは具体的には忘れてしまったけれど、聞きながら考えていたのは、そもそもなんで観客はずっと座ってこっちを見ているのか。整列させられて。
そっから考えられる、引っかかるのはすごい。
保坂和志の小説的思考塾で、保坂の『書きあぐねている人のための小説入門』の冒頭に同級生のWくんとMさんの話がでてくる。と言いながら、Wくんの話はどんな話だったのか忘れてしまって、引用しようにも本も見当たらないからとりあえずMさんの話をすると、小学校の教室の中で、
「昔とはなんですか?」
と先生が生徒に質問をした。生徒は答えを小さい紙に書いて先生に渡し、先生が読み上げる。ほとんどの生徒が「十年前」「百年前」と書いているなかでMさんは、
「お母さんの、お母さんの、お母さんが生まれる前」
と書いた。教室は爆笑した。
「あるレビューで、保坂はWくんとかMさんとかそういう例をあげているけれど、でも社会的に見ればどっちも落ちこぼれじゃん、みたいなことを書いている人がいて、それ違うよね。
みんなそういうふうに見るんだよ。そうは言っても二人とも落ちこぼれじゃん、つまりバカじゃん、ってことなんだけど、自分にはこういう表現が出来なかったな、って反省するっていうか、反省まではしなくていいけど笑 俺にはこんな表現できたかな?とか、そういう視点がまったくなくて、だからその人は『書きあぐね~』を最後まで読んだかもしれないけど、読んでないんだよね」
あづきさんの話を聞いてて、SoraBouさんの話を聞いてて、それをすごく感じて、もちろん二人とも落ちこぼれだってことではなくて、「そもそも」ってところから考える、俺も日記のイベントとかいくつか出たりもしたけれど、あづきさんみたいに「そもそもこの土地ってさ……」なんて考えたことなかった。SoraBouさんみたいに「そもそも劇場ってさ……」って考えたことなかった。
「こんなこと考えてるのは間違ってるんですかね?」
とあづきさんは言っていたけれど、まったく照準ズレてないし、っていうかそっから考えないとダメだし、そもそも小説ってさ、SoraBouさんがすごいことを言い始めた。
「そもそも小説って同じフォントの大きさで、同じ方向にしか並んでいないって変じゃないですか?」
やばくない? そんなこと考えたことがなかった。
ディオニソスの祭り(8)
2024/02/24
寒い、とにかく部屋が寒い、
きのうはSoraBouさんというTwitterで相互フォローしている人と話をした。アーカイブが残っているので聞きたい人は聞いてもらったらいいんだけど、最終的に三時間話をしていたので長いから聞いていられないかもしれない、というかわたしはきのうの夜(夜中二時までやっていた)寝る前に、すげえいい話したな、それにSoraBouさんがすごいいい話してたな、もう一回ききたいな、と思って始まりから流してみたんですが、自分の声が暗いというか、なんか不機嫌? 自分としてはそんなつもりはまったくなくて、めっちゃたのしかったのに、なんかこいつテンション低いな、聞いてられへんわ、ってなって止めました。
それで、そう今書いた話はこれから書く話の「枕」だったんだけど、とにかく部屋が寒くて、ずっとぶるぶる震えてはいないけれど、震えるように話をしていました。
こんど引っ越すのは暖かい部屋がいい。
なんでこんなに寒いのか、二年住んでいますがわかりません。
Nさんに手紙を翌日(つまり今日)の早朝に送って、「よすぎる!」っと送ってくれたのをずっと眺めています。今朝送った手紙には書けなかったんだけど、Amazonで検索して文庫化されているいちばん有名そうなものを購入しました、というところがすごくいい。なんだろう、劇的な出会い方ではなくて、素朴に出会っているのがすごくいい。そのときには、もしかしたら自分にとってこの作家が重要な作家になるとは思っていなかったのかもしれない、というか、う~ん、また人生訓じみたことを書こうとしているからやめる。
SoraBouさんもそんなようなことを言っていた。
「生活って即興だから」
わたしはその話を聞きながら、自分の昼間の仕事のことを考えていた。保坂和志が小説的思考塾で、
「誰かに教えられたり、注意されたりすることは、結果から逆算されている。」
「でも小説はなにもないまま書くんだよね」
職場で先輩に助言を求める。なんで先輩に助言を求めるのか。ちょうど年明けから一緒に働くようになったアルバイトの子がいる。その子に助言を求めてもいいじゃないか。
「これってどうしたらいいと思う」
「え? ぼくですか?」
「うん、Aの案件についてどういうプロセスでやった方がいいかな、と思って」
「いや、それは、ほかの人に聞いてもらった方がいいんじゃないですか? ぼくはわかんないですよ」
わかんない、新入りの子にはわからない。だからわかる人に聞く。
「わかる人」その人は何がわかっているのか。結果がわかっている。工程がわかっている。しかもその工程でやるに当たってどういう注意点があるか、どこでみんな失敗しやすいか、わかっている。
でもその人がいなくなって、だれもわかる人がいなくなったとしても、わからないなりになんとかする。わからないなりになんとかするしかない。わたしの部署にも長老のように長いことここにいる人がいる。Oさん、ということにする。わからないことがあればOさんに聞けば解決する。
「ここはこういうやり方でやったらいいよ」
「こういうふうにやって」
でも、最終的に、お客さんが求めている形になればその工程はどうでもいいんじゃないか。なまじその人(Oさん)が「正解」を言ってしまうからそれ以外の方法が試せなくなっている。
ないものねだりだとは思う。Oさんのことが嫌いなわけではない。尊敬している。でも、Oさんの決定が「正解」になってしまう。
そのジレンマ? みたいなものはほかの人も感じているようで、ちょっと前にそんな話になったときも、
「わかんないうちにやっちゃえばいいよ」
ってことになった。
う~ん、なんかOさんを悪の権化みたいに書いてしまっていたら申し訳ないんだけどそういうことではないです。ただ、やり方はいろいろ探れるんじゃね? って話です。
祖母の三回忌。お坊さんがお経をあげる。
ディオニソスの祭り(7)
2024/02/23
Nさんへの手紙を書いた。おととい半分書いて、今日後半を書いた。
町田康が『私の文学史』で自意識の話をしている。手紙を書くと、日記や今まで書いてきた小説はだれに宛てたものでもなかったから自意識はなかったけれど、Nさんに対してというより、これがそのうち本になって、だれかに読まれると思うと、自意識がでてきて、けっこう苦しかったけど、しょうがない、諦めるしかないし、これは一回書いたところで消えるものでもなくて、何回もやりとりをしているうちにそのうち消えるだろうから、もしかしたら、わたしはほかの人の書いた往復書簡は最初の方がおもしろくない。お互いに自己紹介している感じが、たぶん二人で純粋に、手紙をやりとりをしていたら、つまり今後本にする予定なんかまったくなくて、単純に二人で手紙のやりとりをするだけだったら書かなかった、お互いの関係を紹介するような文章がつまらなかったんだと思う。でもそれは回数を重ねていくとなくなって、途中からおもしろくなる。そうなったらいいなと思う。
きのうは同僚と飲み会だった。もともと三人で飲む予定だったが一人来られなくなって、Tとサシ飲みだった。
話している最中、たぶん、はじめてサシだったから、大事なことを言いそうになっている、仕事の話とか、真面目な話をしそうになっている自分に嫌になって、話題はたくさんあるつもりではあるんだけど、なかなかいきなり同僚に小島信夫の話はできないし、そいつは文学部だったらしいけれど、でも小説が好きだったわけじゃなくてなんとなく入っただけでぜんぜん文学の話とかできない、って言っていたけれど、でもそっちに進めたってことはたぶん才能はある、って言いかけて、なんて上から目線で、真面目っぽい話をしようとしてるんだ、と思って言わなかった。
自分が小説を書いていることは仕事の仲間にはだれにも言わないつもりでいたけれど、Tには小説を書いていること、日記だけど本にしたこともあることを話した。他言無用で。
ディオニソスの祭り(6)
2024/02/16
小島信夫『残光』p.179〜188(もしかしたらもうちょっと先までかもしれないが)が、大事なところかもしれない。
せりふを丁寧に洗いながら読むことを心がけている。自分自身の問題として読むこと。そうすれば、所謂解釈などというものは自ら出てくるものだ。安易にでっちあげた解釈で全てをこじつけてしまわないこと。謎は謎として大切にすること。 (山﨑努『俳優のノート』文春文庫、p.47)
もちろん自分の問題として大事なところ。
もうすぐNさんから手紙が届く。届いたら始まる。届いてどれぐらいの期限でお返事したらいいのか、一ヶ月は長いと思う。もうすぐ、と書いたが、まだ半月後だ。月末に届く。
小島信夫は「わたし」と書いているけれど、やっぱり小島信夫本人として書いているわけではない、それは当たり前なんだけど、でも読んでても、ここで書かれている「わたし」、小島信夫はあんまりひらがなには開かないから「私」、は誰のことを言っているのか、そもそも何の話をしてるのかも分からないからもちろん「私」も分からない。それでめんどくさいから「私」=小島信夫ということにしてしまうけれどそうではない。
それは当たり前のことで、村上春樹の小説だからと言って「私」がでてきたら、「私」=村上春樹とは読まない。でも小島信夫では読んでしまう。それぐらいしかよすががないからか? でも逆に「私」の問題が大きくでてくる。
山下澄人を一緒に読んでて、あっ、小島信夫はこういうことをやっていたのかもしれない、と思った。つまり【小説の登場人物】として実在する人間は出てきているけれど(保坂和志は保坂和志として、改名もされずにそのまま出してる)、それはあくまでも
「保坂和志が演じる【保坂和志】という役」
であって、
『リア王』で、
「山﨑努が演じる【リア王】という役」
と同じ使い方(登場のさせ方)で、そういう書き方をしたい、と思う。なかなかできるものではないと思うけれど、だから保坂和志は自由だとは思うけれど、師匠には選ばない。師匠にするなら山下澄人だけど、でももちろん弟子入りはしない。勝手にそう思ってればいいけれど、いや、弟子入りするなら滝口悠生かもしれない。
ここ(『残光』のp.179〜188)をNさんがどう読んだか知りたい。一応、ここに書いていることはNさんは知らないことになっている。もちろんNさんは読んでいるから知っているんだけど、まだ「往復書簡」という形ではやりとりしてないし、それを本にしたあとの本の読者も、わたしが一方的に、「往復書簡」が始まる前に自分の考えをまるで手紙を書いて送るみたいに書き殴っていることも知らない。いきなり「往復書簡」を読む。Nさんが、
「ピンフくんが『ディオニソスの祭り』で書いてたことだけど……」
と話を、してもいいし、しなくてもいい。とにかく、わたしは今こんなことを考えてますよ、と書き送っているだけで、それ以上にプレショーとして、自分の考えをまとめてる(吐き出してる)だけだ。
「往復書簡」という名前もちょっと古めかしい。新しい言葉を発見したい。
ディオニソスの祭り(5)
2024/02/12
いつもここに書いている日記は、手書きして、それを打ち込むのは面倒なので、音声入力を覚えて、iPhoneに声で入力して、誤字脱字改行など、まあその調整の面倒くささはあるんだけど、でも0から打ち込むよりはラクなので調整して、もともと手書きで書いた文章に似せて投稿している。
今日は旗日で、その原稿も書いたんだけど、この前聞いた友だちの、もしかしたら不倫されている話、まだ自分の中で生焼けで、もしかしたら本人がコレを読むかもしれない、わからない、たぶん読まないんだけど、もしかしたら読むかもしれないと思って投稿することはやめることにした。
それとはべつに、これはポメラという小さいパソコンみたいな、文章を書く以外にはほかにできない、だから集中できていい、ポメラに向かうときは文章を書くとき、っていう、キングジムという文房具屋さんから出ているメカを、わたしはおじいちゃんに、なんだかわからないけれどとにかく欲しいから買ってくれ、五万する、と頼み込んで買ってもらって、両親には怒られた記憶がない。
小学生のときにお年玉は母親が持っていた。それがわたしはとても不満で、その当時発売された、NintendoDSでやるドラクエのソフトが欲しくて、親に、
ドラクエのソフト欲しいから、この前もらったお年玉ちょうだい
と言ったら、ダメ、と言われて、そもそもこれは俺がお年玉としてもらったお金なのに、なんで親がその使い道に口出ししてくるのかわからなかった、何度も言っても同じことだったので、わたしは母親のカバンの中に入っていることはわかっていたからそれを抜いて、ドラクエを買った。
その日のうちにバレて、その日は、わたしの人生の中でいちばん怒られた日かもしれない。晩ご飯の席でその話になって、父親はわたしに茶碗を投げた。殴られもした気がする。茶碗は当たらなかったが、わたしの後ろの壁に穴が空いて、それは翌日に父がパテかなにかで埋めたんだけど、未だにその穴はくっきり跡が残っていて、見るたびにその日のことを思いだす。
なんでそんなに怒られたのかはわからない、たしかに親のカバンから金を盗むみたいに取ったは取ったけれど、わたしとしては、
もともと俺がもらったお金で、親にはあずけてるだけじゃん
あとにも先にも、親が物を投げてまで怒られるなんてことはコレがはじめてだった。
ディオニソスの祭り(4)
2024/02/11
「なりゆき街道旅」でワンプレートにいろんな産地のウニがひと口ずつ並んでいるのを芸能人五人ぐらいが食べている。たしか産地によってウニの色が違う。それは視覚的に見ればわかる違いで、わたしたちはテレビに写っているものは食べられないんだけど、それは産地の違いではなく個体差なんじゃないか
……と考えて書きはじめたが、でもたしかに人間も、生まれた所で肌の色、目の色、それは写真で見ればわかる違いだけど、会えば体臭が違う、言葉も違う、言葉はちょっと文明寄りすぎてるかも、もっと産地の違い、それぐらいしかわたしには具体的な違いが出てこない。
学ばなければ
この前浮気されている女の子と話をしていた、まだほんとうに相手が浮気してるかはわからない、でも前科があるし信じられない。
昏々と眠り続けるふじの傍らで、恒太郎は沈黙のままである。謝ることもしなければ、釈明もしない。ふじに唯一語りかけた言葉は、「母さん、フラれたよ。フラれて帰ってきたんだ。ハハ」である。これは友子に関係を絶たれたという報告であり、相手に逃げられた無様な自分を嘲笑している。この台詞は、呼びかけの言葉〈母さん〉からわかるように、ふじへの甘えから発せられている。妻なら〈フラれた〉男を優しく慰めてくれると思ったのである。しかし許してくれるであろうふじは、彼岸へ旅立とうとしている。やがて彼の口元から笑いが消え、うめくような嗚咽がもれ始めた。恒太郎の浮気は帰る場所があるからこそ可能なものであった。待ち続けてくれる人を失った今、彼の浮ついた気持ちは一気に消し飛んでしまい、底知れぬ孤独が彼を襲ったのである。
(高橋行徳『向田邦子、性を問う——『阿修羅のごとく』を読む』いそっぷ社、pp.102-103)
浮気って男がするもんだよね
と言われ
いや、俺はね、そこは疑っているよ
ああ女の人も同じぐらいするってこと?
するのもそうだけど、表に出てくるのが男の浮気しかないから浮気=男のものってイメージだけど、女の人も表に出てこないだけでやってると思う
昨日図書館に行って本を借りてきた。しばらく蔵書整理に入るから二週間ほど休館になってしまうらしい、いいタイミングだった。高橋行徳『向田邦子、性を問う——『阿修羅のごとく』を読む』を借りてくる。なんで急にこれを借りてきたのかわからない、自分なりに浮気を考えたくなったのかもしれない。
まず向田邦子が「日本のテレビにはホームドラマが多いが、ベッドシーンとかセックスシーンがつねにそこから抜け落ちている。ホームドラマという以上は、夫婦や家族をテーマにしている。セックスを抜きにして、ホームドラマは成り立たないんじゃないのかしら」と切り出した。和田勉はその頃テレビで放映された小津映画を思い浮かべて、「小津安二郎はセックスを描かなかったでしょう」と反論した。それに対し向田は、「そこにもセックスはちゃんとある」、「冠婚葬祭の基本はセックスだ」と明言した。和田はこの大胆な発言に驚きながら、「確かに、セックスがなければ冠婚も葬祭もない」と思い、彼女の意見を認めざるをえなかった。
向田邦子はセックスについて、次のような彼女独自の考えを持っていた。
一組の男女がコップいっぱいの水を分け合って飲むこともセックスだし、蜘蛛が口から糸を吐き出して自分の巣を作っていく、あれもセックスなのよね。
向田はセックスを性欲に限るのではなく、もっと広義の意味で捉えている。男と女が互いを助け慈しみ合いながら生きること、端的に言えば、生への意欲と考えていたようである。
二人は大筋で、向田流のセックスを柱に据えたホームドラマを創ることで意見が一致した。
(同前、p.16)
Nさんは「タートル・トーク」で結婚式の話、「合掌」で葬式の話を書いていてわたしは勝手に「冠婚葬祭シリーズ」と呼んでいる。本人には伝えていない。わたしも一度本気で自分のセックスについて考えてみたい。もちろん小説の形で、自分の体験談を赤裸々に書くわけではない、でもある意味赤裸々に書かなければ意味がないんだけど、たしかに
「セックスがなければ冠婚も葬祭もない」
っていうのはすばらしい。全部セックスやん。
……ゆりやんレトリィバァみたくなったけど、
「もうキンタマやん!」
でも向田邦子の書くもの、ドラマもどれも、セックスの匂いがプンプンにしていて、だから太田光の、
「あんな不道徳なものを、しかも不道徳だと悟られずにゴールデンタイムで、茶の間のど真ん中でやっていたことがすごい」
「あれ(阿修羅のごとく)を家族みんなで観て、世のお父さんお母さんはビクビクしていたと思いますよ」
『阿修羅のごとく』なんかもう観てて、
さっさとベッドシーンを流してくれ!
と思う。それはもう「さっさと介錯してくれ」って言うような感じに、そっちのほうがまだマシというか、見せないけどその裏側にセックスを強烈に感じさせるから、あんなものを自分の妻や子どもと一緒に見ていられない。
でも普段セックスって隠して生きているじゃん
って思う。職場で子供ができたって報告してお祝いする感じ。
オザワ・セイジが亡くなっていろんな話がツイッターに出ている。
「バーンスタインはその瞬間、本能的にバーン!と行ってしまうが、カラヤンはそういうことはしない」
「カラヤンはもう演奏する前に頭の中に完成形がありますもんね」
「そうなんです」
村上春樹との対談から引っ張ってきているらしい。わたしはそれを買って持っていたような気もするけれどたぶん買っていない。A先生がコロナが始まって「家にいろ」と言われていたときにツイッターでおすすめの本にその対談の本を挙げていた。たしか新潮文庫だったと思う。
そんなことを考えていたら音楽は面白いなぁ、と思った。バーンスタインの指揮するマーラーの交響曲二番「復活」のさいごなんて素晴らしい。ためしにカラヤンも検索してみたがYouTubeにはなかった。
本番にむけて準備をしていくけれど本番はその一瞬しかない。その一瞬にむけて何百時間と練習していく。わたしは高校時代吹奏楽をやっていたけれど、十月末の本番に向けて、コンクールの曲が発売?されるのはたしか二月でらそこから練習するが、わたしが通っていた学校は定期演奏会が終わってから本格的にコンクールに向けての日々になるので、二月からかぞえれば九ヶ月間だが、それでも定期演奏会後でも約六ヶ月間同じ曲を練習しつづける。
飽きないんですか?
とわたしが言ってくる。
わたしは勘違いしていたがら今までわたしと言っていたのが「わたし」で、「わたし」と言っていたのがわたしだった。つまり何かしようとして止めてくるのがわたしで、
止めんなや!
と言ってくるのが「わたし」だった。今まで反対で書いていた。
文學界の今月号にラボのことを少し書きました。【いわゆる「わたし」を排除して、本来のわたし、身体を伴い、あらゆる感覚を総動員した、勘や気配や顔色に瞬時に反応する「動物」】
(山下澄人、@FICTION96、Twitter、2024/02/11)
以前、絵を描いている人はどんどん上手くなっているが、自分は四年間も文章を書いているけれどうまくなっているのかわからない、と書いたけれど、それは文章を書いているのではなく、自分の中にあるものを書いている証しのような気がする。だから文章でなくてもいいし、文章が上手いか下手かを書いているわけではない。
それでさっきの話に戻ってくる。戻ってないかもしれない。音楽はとにかく一瞬で終わる。本番に向けて何百時間かけていたとしても音楽は一瞬で終わる。それにくらべて文章は、書き直しができる、推敲はできる、書き出さずにずっと待っていることができる、しかし音楽はそうはいかない。始まったら終わりまで行くしかない。もちろんすでに作曲されている曲を演奏するのと、これから小説を書いていくのは違うかもしれないけれど、バーンスタインのようにドカン!と書いてしまうだけど、そこで山崎努で、
「そのとき湧き上がってくるものも大事なんだけど、それだけだと物語はキャラクターの居場所だから、そっちに行き過ぎてしまうとキャラクターの居場所がなくなっちゃう」
俺の小説には居場所がないのかもしれない笑 だからこそじっくり見ようってことなんだけど。