きのうの日記で「あ」しか書いてないのはきのうケイタとそんな話をしたからだ。
このまえ会ったときに日記渡したじゃん、
うん
べつに読まなくていいんだけど、読んだ?
最初の三ページくらい読んだ
三ページくらい読んでくれた
うん
日記って興味ある?
俺はあんまりない
俺もないんだよ
うん
小説なら読む
うん、小説の方が読みたいかも
そっか。
(いろいろ話して)
なんで日記書いてるの?(これはケイタ)
今日もやってるな、ってそれだけでいいんだよね
うん
内容はどうでもよくて、インスタのストーリーに毎日アップしてたときもあったけど、あっ今日も書いてるな、で、次の日も今日も書いてる、明日も書いてる、それで十分なんだよね
じゃあ最悪「あ」って一文字書いてあるだけでもいい?
いい。とにかく今日更新されていればそれでいい
ケイタはなかなかするどいことを言って、
安堂が見ている世界を見たいんだよ
保坂和志も、
小説は筋がいいとか、文章がいいとかそんなことはどうでもよくて、書いてるその人の世界と触れ合ってる感じとかを書くもので
ケイタは保坂和志は知らない、
いつもインスタに上げてる小説はむずかしそうだね
むずかしくない、ただ俺のインスタにアップするセンスがないだけだ。
それでいうと、大晦日にやっていたWBCの番組の中で、大谷が外野のフェンス(クッション)のところに八種類ぐらいの重さの違うボールを、テニスでいうと「壁打ち」のように十球ずつ投げる、あれはなにをしているんですか?という解説があって、それに大谷が答えていて、
あれをすると動きのセンス・巧さみたいなものが磨かれるんです
と言っていたが、わたしはすげー、と言ったら父もすげー、と言って、
もう意味わかんねぇな
わたしと父はそんなに話をしないが意見が合った。ただ大谷のこの言葉はすごい。「動きのセンス」っていう言葉のチョイスがすごい。
それと先発ピッチャーを任されてブルペンで甲斐に指示をだしているところも、普段の会見やインタビューのときとは違う、宮崎駿が『風立ちぬ』を作っていたときに言っていた、
あの時代のインテリはキー高めで早口でしゃべるんですよ
という、まさにそのしゃべり方で、大谷のあのしゃべり方を聞けたのは今日の収穫だった。